いじめをテーマにした残酷なホラー漫画「ミスミソウ」の映画版。
監督は「先生を流産させる会」の内藤瑛亮。ちょっと期待して見たんですが、結果としては漫画に及ばない感じかな。
おおまかなストーリーは漫画と一緒。ただ迫力は漫画のほうがある。
主人公一家が田舎に越してきて、いじめられ、いじめがエスカレートしてとんでもないことになる。そして主人公はいじめてきたクラスメートたちへの反撃を開始する。
「先生を流産させる会」のときは、ショッキングなタイトルの割にちょっとおとなしくまとまりすぎてるかなあと思った。で、今回の「ミスミソウ」についても同じ。
陰鬱なストーリーはそのままだし、スプラッタ場面もちゃんと出てくる。それなのに、なにか迫力が足りない。
映像とか撮り方が全体的にのっぺりしてるのかな。撮り方も遠景とかが多くて、アップが少ない感じがした。その結果淡々とした雰囲気になっちゃって、なんか迫力不足になってるのではないか。
生徒たちの心情なんかについては、よく描かれていたと思う。そのへんは漫画でも力が入っていたところだけど、映画は映画でちょっとした変化をいれつつ、丁寧に描いてあった。
実写にしたことでリアリティのなさが目立つ結果に。
画版では先生のエピソードがちょっと膨らませてある。主人公たちの担任の教師がかつては自分もいじめられっ子で、そのことがトラウマになってて、クラスの中心的な生徒に嫌われるのが怖くて彼女と友達感覚(のつもり)で同調している。
そこは漫画とだいたい同じなんだけど、映画では生徒の保護者を登場させて、このおかしい先生と対面させている。そこで先生のおかしさがより鮮烈に伝わり、さらに生徒だけじゃない親からのプレッシャーを受ける先生側のストレスも伝わる。はずなんだけど、どうもこれが失敗してる。
保護者とかが出てくるあたりで物語のリアリティが一気に崩れ去ってしまった気がする。
もともとリアリティってそんなになかった漫画だと思う。ただ、そこに描かれる妬み嫉み嫉妬恨み悲しみとか、そういう感情はリアルだった。そして、漫画はそれに注力して、さらに作者特異の力の入ったスプラッタ描写を加えることでうまくいっていた。それ以外の余計な部分はまったく描かなかったし、描く必要もなかった。
実写化するとどうしても漫画で描かれていない細部が入り込んでしまう。さらに実写映画で、ほんとの人間が演じている時点で超えるべきリアリティのハードルが高くなってくる。
先生のエピソードも、先生もまた歪んだ精神の持ち主であったことを垣間見せることだけが目的だったのに、保護者とかを引っ張り出してきたことでこの映画の学校組織とかいろんなことの嘘くささ、ありえなさが一気に目立つようになってくる。
保護者が担任にわーわー言う内容も、うちの子が何日も帰ってこない、どうなってるんだとか。同じクラスの生徒が何人も行方不明になってればとっくに警察沙汰になってるでしょうに。
その生徒たちの何人かはすでに死んでるんだけど、その死体はゴミ捨場に使われてる窪地に無造作に放置されている。生徒の通学路からそれほど遠くない場所、あるいは通学路の途中の可能性すらあるその場所に死体が転がっててだれも気が付かないとか、ありえないと思う。
さらに細かい作劇上の粗もある。
復讐中の主人公は、相手の攻撃を受けて一度倒れ、そこから反撃して相手を倒すというパターンが多いんだけど、その勝ち方がご都合主義すぎる。倒れた主人公がちょっと手を伸ばすと届くあたりに都合よく武器が転がってて、それを使って相手を殺す、というパターン。これが3回あったと思う。これはディーン・R・クーンツの「ベストセラー小説の書き方」で「やっちゃだめ」とされていた悪い見本そのものじゃないか。原作もそうだったかもしれないけど、なんか目についた。
そのへんの雑さがもったいなかった。人間関係の細かいいろいろはよかっただけにそこが残念。
あ、関係ないけど寺田農のおじいさん役は良かったんだけどな。寺田農が突然登場してびっくりした。
まとめ
とはいえ、大まかなストーリーは漫画と一緒なので、初見の人は単純にその悲惨なストーリーに驚愕することでしょう。ただ、だったら漫画でもいいかな、という感じ。
個人的には漫画に比べると荒が目立ち、映画ならではの積極的な良さってのが感じられなかったかな。いいところもあるんだけど。
表面的な暴力の激しさの割には静かな印象になっているのは、あえてそういうとり方をしているのかもしれないし、この監督の癖なのかもしれない。ただ、原作のえぐさにくらべると少し大人しく感じました。