矢部嵩「少女庭国」の感想。アンチバトルロワイヤルの不思議小説。人肉食。

不思議な小説。発想の面白さと雑さと、文章の新しさと雑さとが入り混じっていてどう評価したらいいのか困ってしまう独特な物語。

「少女庭国」という短編と「少女庭国 補遺」という中編で構成されてますが、あわせて一つの物語といった感じ。

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「少女庭国」のあらすじ

とある学校で卒業式の日を迎えていたはずの少女。彼女は気がつくと殺風景な部屋で目覚め、その部屋の2つある扉の一つに卒業試験の内容を示す張り紙が貼られている。張り紙にかかれているのは卒業するための条件、

「ドアの開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n‐m=1とせよ」。

つまり、全部で2部屋あったとして2人の卒業生がいた場合、一人死ねば残った一人は卒業できる。

目覚めた少女がもう片方の扉を開けると、そこは自分が目覚めたのと全く同じ作りの部屋で、中央にはやはり自分と同じく横たわる少女がいた。

で、この連続する部屋がどんどん続いてて、どの部屋にも同じように少女が横たわっている。呼びかけられた少女は目を覚まし、少女の数は徐々に増えていき、そこでどうするか、という話。この部屋の連鎖は、無限に続いている。

バトル・ロワイヤルみたいなゼロサムゲームの亜流としてのあり方。

若者同士の殺し合いを想起させる点では「バトル・ロワイヤル」みたいなんだけど、どっちかというと映画の「キューブ」みたいな不条理タイプのお話。

で、この小説でかわっているのは時間制限がなく、殺し合いが強制されてもいないところ。卒業の条件がn-m=1なので、卒業するためには必ずだれかが死ななければならないんだけど、その条件に達するまでのタイムリミットなどの制限がない。つまりこのルールでは、卒業することを目指さなければ殺し合いなどが回避されうる。

つまり、バトル・ロワイヤルとかキューブみたいな極限環境で、タイムリミットを設定せず脱出を強制しなかったらどうなるか、という一種の実験小説的な要素がある小説です。

最初の短編、「少女庭国」はそうしたやや特異なバトルロイヤル状況を描いた作品。

主人公のいる部屋の隣も全く同じような部屋で、やはり一人の少女が寝ている。その部屋にも、そのまた次の部屋にも同じように少女がいて、扉はどんどん続いていく。主人公たちは次々に扉を開けていき、登場する少女たちは全部で13人になる。そこで彼女たちは、張り紙の方程式に基づけば、自分たちのうち12人が死ねば残りの一人は卒業できるという可能性にたどりつく。

ストーリーそのものより、狂った文章が印象深い逸品です。

理不尽な状況に置かれた少女たちの言動を通して儚い青春の一コマを切り取るものなのかな、という感じはします。バトルロイヤル状況でそれを否定するという図式。しかし結局はそのルールに従わない限り終わりも解放もないわけで、絶体絶命の状況でささやかに戯れる少女たちの儚さがきらめく…。

しかし、それ以上に文章のおかしさが強烈に印象に残る。それが意図したものなのかわからないのでなおさら困惑感が増します。この文章のおかしさについては多分わざとで、その理由も「少女庭国 補遺」でなんとなく説明されている気がします。

これに続く「少女庭国 補遺」のほうは長さも倍以上あり、少女庭国の特異な世界をより突っ込んで追求している物語となっております。

「少女庭国 補遺」のあらすじ

補遺といいながらこっちが本編かと思ってしまうくらい、分量も長く、この独特な世界を深く追求したものになっている。

ここで語られるのは、「少女庭国」で語られなかった、同じように目覚めた幾多の少女たちの物語。

目覚めた少女は一人だけではなく、いろんな箇所で何人もの少女が、理屈からすると無限の少女が目覚めていたわけです。

補遺ではその少女たちがいくつかピックアップされて、それぞれの顛末が語られます。あるものはすぐに自殺し、ある少女たちは殺し合う。数行で終わる試行もあれば、数ページ続くものもある。

やがて登場するのは、少女たちが何部屋も何部屋も何部屋も開けていくうちにいつしか築かれたひとつの世界の話。

ただ連続する部屋とそこに横たわる少女たち、という極めて限定されたリソースから、少女たちが暮らす一つの世界がどのように生まれ、滅んでいったかというお話。メインはそこじゃない(と思う)んだけどいかに世界が構築されていったのかがまあまあ克明に描かれています。

どこまで狙ってどこまで外してるのかよくわからない

そこはかとない悲しみ、やるせなさがあると同時に、この世界そのものの訳のわからなさ、答えのなさ、文章のおかしさなどがあいまって結構独特な読後感を感じさせる小説に仕上がっています。どこまで本気でどこまで冗談なのかよくわからない。

まず文章、最初から最後まで気になる妙におかしい文章なんですが、登場人物全員女子中学生ってことでそのへんわざと砕けた表現にするのはわかりますが、ちょっと砕けてる以上におかしい。文章の平仄もあってないようなところが多々あるし、リズムもおかしいし。

最初は、これが少女庭国の歴史書みたいなものであるとか、そういうオチか設定なのかなーと思いました。お手本とすべき本もほとんどなく、世代を経るに従って徐々に独自の文法が形成されていって実はこの小説こそが少女庭国で生み出されたものなのである、という。

そうだったらいろいろと納得できるんですが、ところどころ地の文も出てきてるのでなんとも言えません。少女たちが綴った文章だけがおかしいならわかるのですが、地の文も同じような調子なので。

ちょっと笑える要素もあります。少女帝国の歴史の教科書の文体を模倣した箇所とか、とある少女漫画の再現に情熱を傾ける少女とか。横たわる少女たちの中で、ときどき爆弾を持っている子がいるとか。しかも複数。

コンピューター上のシミュレーション

それで、さっき試行と書いたのは、この世界がおそらくはコンピューターの中のゲームやシミュレーションのようなものじゃないかと思えるから。無限に続く部屋に、同じ中学の卒業生が寝ていて、全員名前が違って全員お互いに知らないという現実にはありえない状況を設定できるのはそれしかない。

そして少女たちがたまたま持っていた爆弾とか花の種とかそういうリソースを活用して世界への働きかけがなされるんだけど、これはひょっとするとゲームのガチャ要素みたいなものかもしれない。

世界の仕組み、生産と消費のサイクルなんかは、それなりに考えられているけどちょっと無理がありそう。食事は基本的に無限に発生する少女たちを食料とする人肉食で、たまたま少女が持っていた種を育ててできた作物とかたまたま持ってたお菓子なんかがでてきたり。そこはいいけど、植物を育てるのに必要な水や日光に触れられていない(血の雨がふる描写はたしかあったけど)。

壁を掘り進めて大きな広間を作ったりしてるけどそのための物資や、掘り崩した残土のやり場など、ちょっと無理じゃないかな。リソースが実質無限であるということを考えると、不可能でもないのかもしれないけど。

少女たちが自分たちの世界がシミュレーションだと気づくとか、そういう展開はなく、延々とこの不思議な世界が説明され、そしてどんなに長く続いた世界もあっけなく崩壊して終わってしまう。ここで提示されている物語は、そうした延々と続くループの一部を切り取ったもののようにも感じられる。

長い補遺によって少女帝国のループの虚しさが補完されている。

結局の所、延々と消費される少女たちを眺めていて得られるものは虚しさ、やるせなさ。

登場するのが女子中学生であること、人肉食の要素、さらには途中で「少女庭国」の主人公たちがいた部屋とつながっていき、結局は少女庭国の主人公も卒業することなく虚しく死んでいったという点。そうした点もこの繰り返しがもたらす虚無感を補強する。

ある少女たちが帝国を築くほどに長く持ちこたえはしたけど、結局は崩壊する。どうあがいても崩壊する運命にある集合体について延々と説明しているこの補遺そのものが、虚無感を強調しているように感じられます。

とすると、その虚しさの中でもっとも輝いていた部分はおそらく「少女庭国」に集約されていて、やっぱり「少女庭国 補遺」は正しく補遺だったのである、とも思えます。

まあ、補遺が本編より長いというたんなるネタなのかもしれないけど。

まとめ

この世界の虚構性に少女たちが気づいてなにか行動を起こすという展開が見たかった気もするけれど、あえてそうしなかったのだと思います。鈴木光司の「ループ」みたいなことになってしまいかねないし。どこまで計算されてるのかわからないけど、深読みを誘うなかなかおもしろい小説でした。

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