小林泰三の「記憶破断者」を読みました。前向性健忘症の患者を主人公にしたお話。記憶は著者の大きな関心ごとのようで、似たテーマの話はいろいろとあるようです。この本は前向性健忘症を扱っていますが、その症例や記憶自体をテーマにしているのではなく、それを利用したサスペンス・ホラー小説になっています。
追記:幻冬舎文庫で文庫化されました。なぜかタイトルが変わって、「殺人鬼にまつわる備忘録」という題名ででているので間違えないようにしましょう。「記憶破断者」というタイトルもかっこいいと思うんだけどな。
主人公は田村二吉。
主人公は田村二吉。彼は他の短編にも登場しますが、小林泰三の作品では本によって微妙に人物設定が変わっていたりするようです。「遺体の代弁者」ではやっかいな状況に置かれているし、「路上のパンくずの研究」ではなぜか探偵事務所を開いていることになっています(本人はわかっていない)。
脇役として岡崎徳三郎が登場します。この人もいろんなのに出てる。長編「密室・殺人」の主要な脇役でもあるし、「路上のパンくずの研究」では田村二吉と共演しています。
他にもいろいろあって、小林泰三作品の登場人物はけっこう使い回されている印象。こういうのは他の作家でもよくあることなのかわかりませんが、他作品の人物がちょっと登場したり、それに言及されたりするのは作品同士の有機的なつながりみたいなものが感じられて世界観に広がりが生まれて、いいと思います。最近は「ドロシイ殺し」の登場人物がよかった。こういうお遊びはスティーブン・キングにも多いかな。
こういうキャラクターの使い方については、手塚治虫のようなスターシステムを採用しているからなのか、それとも、すべてを内包する一つの大きな世界が設定されているのか、それはわかりません。後者ならすごいけど。
それはともかく「記憶破断者」の感想。
前向性健忘症についてのたぶんいちばん有名なフィクションは、映画の「メメント」じゃないか。まだ無名のクリストファー・ノーラン監督、ガイ・ピアース主演のこの映画はけっこう話題になってヒットした記憶があります。
まあそれなりに興味深くみたのですが、この映画には大きな不満がありました。それは、この映画が前向性健忘症のドキュメンタリーに過ぎないのではないか、という不満です。全身にタトゥーを入れる主人公も面白いし、時間をさかのぼって描写していくやり方も面白い。しかし、そうやって描かれるのはすごくストレートなお話で、とくに驚きのようなものはなかったのです。わたしが期待したのは前向性健忘症ならではの物語だったんだけど、メメントはその症例をネタに監督の演出技法を楽しむものになっていて、前向性健忘症でしか表せないストーリーではないように思ったんですね。
監督はこの映画で一躍脚光を浴びたようですが、確かによく構成されていたし面白いとは思いましたが、わたしにはちょっと肩透かしというか、不満が残る映画でした。
で、メメントに足りないなぁと感じていたまさにその要素を取り入れたのがこの「記憶破断者」という小説で、前編楽しく読むことが出来ました。
主人公は田村二吉。ある日かれは見知らぬ部屋で目覚める。チーマーに絡まれた友人を助けにいき、逆にひどい暴行を受けた。しかし、体に異常はないようだ。ここは病院だろうか?枕元には、表紙に大きなビックリマークと三桁の数字がかかれた一冊の大学ノートが置かれていた。そのノートに書かれていたのは:
警告!
・自分の記憶は数十分しか持たない。思い出せるのは事故があったときより以前のことだけ。
・病名は前向性健忘症。
・思いついたことは全部このノートに書き込むこと。
このノートには冒頭部分に田村二吉に関する様々な重要事項が記載されていて、二吉はそれを読んで自分の置かれた状況を把握します。そして、その8ページ目に書かれていること。
・今、自分は殺人鬼と戦っている。
こうして田村二吉の物語が始まります。そう、大事なことは体にタトゥー入れなくてもノートにメモしておけばいい。今ならスマホのアプリで便利なのがありそう。
メメントでは、見知らぬ相手を追求していく話だったと思いますが、二吉の場合は自分でも知らない間に殺人鬼と知り合い、そして戦う羽目になっています。もちろん殺人鬼の顔も名前もわからず、そもそも自分の生活もままならない状況、はたして二吉はどのように対処していくのか。
このへんの冒頭からかなり興味をそそられる話になっていて、面白いです。
健忘症を適切に応用した展開で、面白いです。
同著者の「忘却の侵略」(「見晴らしの良い密室」所収)によく似たタイプの話で、それをずっと膨らませた感じ。
お話は、まあ緩急の付け方に好みはあると思いますがすごく面白い。個人的には中盤から後半にかけての進行がちょっと急で、もっと盛り上げてもっと楽しみたかったと思いますが、何しろ毎回一からやり直す主人公をあまり引きずり回すのも、読んでる側もマンネリを感じるかもしれないし可哀想なのでこれでちょうどよかったのかも。
敵役も印象的。
殺人鬼、というのはちょっと誇張した呼びかたなんですが、敵役は雲英光男(きらみつお)。実はかれには、触れた人間の記憶を自由に改竄できるという特殊能力があって、それを利用して様々な悪事を働き、殺人を犯している。こいつのゲス野郎っぷりもすごい。対象が触った人間のみなので多少限定はされるものの、記憶を操作できるということは実質人を好きなように操れるということなので、法も秩序も無視して好き放題に遊び暮らしているクズ。
なんでもやりたい放題なので、自然と上から目線で尊大な態度になってる雲英光男。読んでて嫌悪感を覚える(と同時にやれるものならやってみたいと思わせる)彼はなかなかいいキャラです。
それに対する田村二吉については、客観的な描写があまりありません。まあ当たり前な普通のおじさんかな、というくらい。ということは前向性健忘症に翻弄される部分が強調され、読んでる側は自然とかれに肩入れし、応援したくなってくるもんです。ヘプバーンの「暗くなるまで待って」は盲人が主人公で、見ているとついつい感情移入して「目の見えない感覚」を感じてしまいますが、この小説もそんなふうに記憶が持てないってどんな感じなんだろう?と思わされます。
雲英の能力ですが、これは超能力ではありますが超自然のものではなく、超強力な催眠暗示のようなもののようです。そのため、暗示を受ける側が予め強く抵抗している場合には「催眠を受けた」という記憶自体が残ったりして、完全にはかからないこともあるみたい。
田村二吉もたまたま雲英と遭遇しニセの記憶を植え付けられるのですが、その内容が「二時間前から雲英と一緒にいた」というもの。しかし、かれはその症状から、二時間前のことなど覚えていられるわけがないのです。それなのになぜ、二時間前からいた記憶があるのか…。この不思議な出来事を田村はすかさずノートにメモ。こうして田村と雲英の関係が始まります。
凡百のホラー小説を凌駕するラスト。
その後の展開&帰結はぜひ読んで確かめてください。面白かったです。
ただ、ひとつ言いたいのはこの小説のラストが素晴らしいってことですね。この小説の最終盤で味わわされるいやーな感じ。この味わいはなかなかないものですよ。自分が自分でなくなるような…。久しぶりに素晴らしいテイストを味わわせてもらいました。
ところで前向性健忘症の田村二吉に幸せは訪れるのでしょうか。彼の将来についてはどうなるのかわかりませんが、小林泰三は前向性健忘症に関して別の小説も書いています。それはなんと、全人類が前向性健忘症になってしまうという「失われた過去と未来の犯罪」。こちらはそういう状況の「その後」を描いた部分がメインのSFなんですが、前半は前向性健忘症になった人々がどのように自体に対処したかが描かれています。田村二吉の経験もきっとこの状況で役立っていたことでしょう。