赤松利市「らんちう」の感想。貧困、洗脳セミナー。社会派ミステリ。

たまたま買ったミステリマガジンで読んだ著者の経歴がとても面白く、それで興味をもって買った本。小説家になるまでが波乱万丈です。

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結構すごい波乱万丈の経歴。

新卒で消費者金融に入社、七年後に本社勤務、さらに支店長となり大きな仕事をまかされ毎日朝四時まで残業してスーパー銭湯で眠るような生活のあげく、半年で燃え尽き、離婚、退職。

その後親のつてでゴルフ場で働き、コース管理の業務を効率化するビジネスモデルを考案してビジネス特許を取得、ゴルフ場のコンサル会社を立ち上げる。

業績も伸び順調に思えたが、東日本大震災を切っ掛けに経営破綻。

東北の復興バブルで一攫千金を狙うも無理で、福島で除染作業員を始める。が、そこに集う異質な作業員たち、またかれらとの共同生活に馴染めなかったのかそこでの生活が恐ろしくなり東京に出奔。

その時の所持金5000円。60才で住所不定、娘1人。バイトを転々とし漫画喫茶や路上で寝泊まりする日々を過ごす。

そんななかで書いた小説で賞をとってデビューするわけです。

でも帰国子女で英語はほぼネイティブ並みで、そのおかげでリムジンタクシーの運転手のバイトをしたりとか、もともと優秀な人のような気がします。一時期娘と二人暮らしをしていた時期もあったとかで、波乱万丈の経歴の裏にもいろいろな側面があったのではないでしょうか。

「らんちう」という本も、最初はこの経歴からかってに荒々しい内容を予想していたのですが、実際にはむしろ洗練された、計算された本でした。

ミステリーっぽいあらすじだけど実際は社会派。

とある海岸沿いのホテルの従業員6人が共謀して、新任の総支配人を殺害した。その理由、そしてその背景が語られる、という小説なわけですが。

ホテルの支配人が殺され、殺したのは6人の従業員たち。でも、これはいわゆる推理小説ではありません。コロンボみたいなハウダニットではなく、どのように殺したのかもすべて最初から明らかにされています。叙述トリックなどもない。

本の形式は一人称をとっていて、6人の従業員たちが殺害当時の様子を振り返り、また警察の取り調べを受けて供述する内容がすべて一人称でかれらの独白のような感じで語られていきます。

帯にはクライムノベルと書かれていますが、それもちょっと違うような感じ。どっちかというと社会派ミステリな気がする。

では何かと言うと、本を通じてよく分かるのが現代の特殊な形の貧困と、自己啓発セミナーという特殊な業態の実態。それを描き出した一種の社会派ミステリーなのではないでしょうか。

日本の貧困。

この本では、支配人を殺害した従業員たちそれぞれの考え、心持ちが語られ、それを通じて現代の日本に存在するある種の構造が浮かび上がるようになっています。それは一言で言えば貧困を生み出す構造、構造的デフレ、さらには貧困の拡大再生産ともいえるものだと思いますが、その社会の歯車になっている個々人にはその自覚がないという点にこの小説のやるせなさがあるような気がします。

ここで語られる貧困ですが、ホームレスとか食うや食わずの生活をおくる人たちが出てくるわけではありません。むしろ殺された支配人が経営に携わるようになってから、彼らの給料は増えています。ただし、増えたといっても給料30万円以上。そして、労働時間が月300時間。

この労働時間、単純に計算すると一日10時間労働になります。ホテルへの泊まり込み日も含めたものなので実際には休日もありますが、なかなかに厳しい労働条件に見えます。

ただし、これを簡単にブラックと言えるのかどうか。

実際に従業員の中にはこの待遇を逆にありがたがっているものもいますし、別の人の視点ではそういう給与体系になってから従業員たちの目の色が変わった、という指摘もされています。

今の日本で月給30万未満の人、けっこういるような気がします。そして休みの日といってもとくにすることはない。だったら働いてお金をもらったほうがいい。年齢も30過ぎて、田舎で転職して30万もらえるような仕事はほかにないし…

つまり、月300時間労働で月給30万の仕事はブラックではない、と思えるわけです。少なくともその待遇が支配人を殺害した理由ではない。

ここに、この小説の眼目の一つである、現代社会の若者たちが置かれた状況というものが描かれていると思います。要するに、狭い地域の仕事に縛り付けられている若者たちの閉塞感みたいなものでしょうか。

地方から上京して大学を出て、まあまあの企業に就職して転職先も普通にある人とはまったく違う状況かもしれませんが、田舎で暮らしている人にとってはなかなかあり得る話のように思えます。

じゃなんで支配人が殺されたのか、というところですが、そこはもちろんきちんとした理屈があります。その点もどんでん返し、というほどではないのが面白いところで、そこは個人的にはなかなか意外でした。ファム・ファタール的な話に落とし込んでいるんですよね。

その作りも意外な展開とか衝撃のラストとかではないんです。読み進めるうちに徐々に明かされていくので自然とわかってくるように描かれています。そういう意味でも、なにか衝撃的な小説を予想していた身としては意外な感じがありました。むしろベテラン小説家の手慰みのような印象すらあり、なかなかの手練れといった印象を感じました。新人ぽくない。

もうひとつおもしろいのはやっぱり新人研修セミナーで行われる洗脳教育の話ですね。

小説のひとつの軸になっている話で、旅館の従業員ほぼすべてが受けている研修セミナー、それが話の核心になってきます。

要は新人研修のセミナーで、実質的に新入社員を洗脳するために使われているよくあるやつなんですが。

これも、実際のセミナー経営者側の視点から実態が語られます。そこにもちろん受講者側の視点もあるので、合わせてみるとなかなかに興味深い。大義名分はあるもののセミナー受講者など所詮金づる、ただのカモであると描かれています。

物足りない点。

こうした諸々の要素が結局はひとりの悪女に集約されているように思えるのが一番の不満点であり、またうまい点でもあると思います。

つまり、個人的な思いとしては貧困問題やセミナーの実態をもっと突っ込んで、生々しく激しく描き出して欲しかった。それは自分が著者の経歴から勝手に思い込んでいた期待ではあるのですが。

それから、もっとも物足りない点は総支配人について。というより、ここの人間の描き方。最初に言っておくとこれは批判ではなく、ないものねだりです。

支配人は醜く太った巨漢で、多くの従業員からは忌み嫌われ、それでいて美しい若女将と結婚する、さらに若女将すら人とも思わないような扱いをするという異様な人物として描かれます。

かれについても小説が進むにつれいろいろな面が明らかにされていくのですが、その点の掘り下げが個人的には物足りない。

極言すると彼もまたセミナーの、また悪女の被害者である、とも思えるのですが、かれが飼っていたランチュウの稚魚にしても、単に従業員の、さらには支配人自身の暗喩ですませるにはもったいないように思えました。

この本のタイトルは「らんちう」で、奇形化した人なり構造なりを表しているということだと思います。その点ではとても良かったと思います。

そのうえで、次回はここで描かれているような人物の内面をさらに掘り下げていくと、すごい小説になるような気がするのですがいかがでしょうか。

まとめ

それに対して著者が描いていたのは、そういう問題を十分に描きつつ、ある種のファム・ファタール物に落とし込むという非常にスマートな小説だった。

問題提起をしても解決はできるわけがないので、小説としてはある意味これがベストな方法なのかもしれません。推理小説的な複雑さ、トリックを持ち込んでいない点も社会派的視点からするとむしろ焦点がぶれずによかったかもしれない。そういうのなくても十分に面白いし。

そんなわけですごくおもしろい「らんちう」でした。前後しますが前作の藻屑蟹が完全版となって登場しているのでそちらも読んでみたいと思います。

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