「トミーノッカーズ」の感想。キングのSFホラー長編で、アル中とヤク中の物語。

「IT」に続きスティーブン・キングが書いた長編。これもテレビでミニシリーズ化され、アメリカでは100万部以上だったか売れたベストセラーなんだけど、そのわりには他作品に比べてあまり評判を聞かない。その理由は、やっぱりこの本自体がそれほど一般受けしない出来だからだろう。それを考えると、ホラーというマイナーなジャンルでこれだけヒット作を産んでいるキングがいかにすごいか逆説的にわかるんだけど。

「トミーノッカーズ」はキングの長編の中でも展開が暗く、やけに長く、読んでいて疲れるところがある。それにかなり長大で、饒舌と冗長の間でなんとかあやうくバランスを取っているという印象をうける。

文章は相変わらず乗りが良いんだけど、おそらく一般読者が望む方向とは違う方向にずんずん進んでいってしまうので、合わない人もいるかもしれない。物語の展開とは別に、語りが上滑りしているように感じられるところもあって、没頭してのめり込むというよりは章ごとに場面を区切って読んでいくような読み方になった。私の場合。

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物語のはじまり。

物語は、ボビ・アンダーソンが田舎の広い森のなかで地面から突き出た金属につまづくところから始まる。彼女は作家で、メイン州ヘイヴンの人里離れた一軒家に愛犬ピーターと二人きりで暮らしている。彼女がつまづいた金属は、実は古代に地球に墜落して地層に埋まってしまった宇宙船の一部。どうにもそれが気になるボビは、ほんとうはまずいことになるとうすうす感じながらも、翌日からその金属を掘り出しにかかる。実はこの宇宙船、大気に特殊な何かを漂わせるか何かして、近づく人々をコントロールする。宇宙船、あるいは宇宙人の目的は、宇宙船を掘り起こさせ、人々を支配下におき自分たちのエネルギー源にすること。ボビは宇宙船の虜になり、取り憑かれて半ば強制的に発掘作業をさせられる。

そのころ、ある詩人が酒に溺れていた。元は詩人兼大学教授だったが酒でクビになり、今では無職の酔いどれ。食い扶持稼ぎに全米をまわって詩人に自作を朗読してもらう朗読ツアーに参加した彼は、またしても酔いつぶれパーティーをめちゃくちゃにしてしまう。これがジム・ガードナーで、本小説の主人公。目が覚めたら海辺で、そのまま堤防から飛び降りて自殺しようと考えていたかれの頭に、ボビが危ないという警鐘が突然鳴り響く。ボビはかつての彼の教え子で、かつ恋人で、今ではただ一人の友人。ガードナーは自殺を思いとどまり、ボビの元に向かう。

という始まりで、ここから予想されるのはガードナーがボビの元に駆けつけて、ボビを危険から救って、でもちょっと掘り起こされたせいでやばい力を発揮した宇宙船とか、宇宙人とかの脅威と戦って、ピンチになりながらも撃退する、というようなストーリー。あたりまえの人が思いつくのはそういう話だと思うし、たぶんいちばん一般受けするとおもう。でも、「トミーノッカーズ」はそうはならない。

薬物中毒とアルコール中毒の物語

ガードナーがたどり着いたとき、ボビはすっかり宇宙船の虜になっていて、やせ衰えてうわ言を言いながらも倒れるまで発掘を続けようとする、半ば狂人と化している。ガードはそれをみてやべっ、と思うものの、結局毎日浴びるように酒を飲んではボビの発掘を手伝うようになる。

そのうち、宇宙船の露出が大きくなるにつれて、ヘイブンの町の住人の多くがその影響を受けるようになる。最初は劇的に「頭が良くなった」住人が便利な危機を発明したり、テレパシーで意思の疎通ができるようになる。やがてそれだけでは済まなくなり、短期になった住民がちょっとしたことで殺し合いの喧嘩を始めたり、いくつかの事件が起こる。徐々に彼らはますます宇宙船にとりつかれていき、よそ者が町に入らないよう町は閉鎖されていく。

この辺でガード、ひと頑張りして酒を断って、ボビを助けて宇宙船を破壊でもしたらどうだ?と思うんだけど、そうはならない。やっぱりガードは酒を飲んでは発掘を手伝い、ボビは宇宙人に操られ徐々に肉体すら変化し人間ではないものに「進化」していく。

この宇宙船がもたらす変異はあからさまに放射能とか原発のメタファーで、というか暗喩どころじゃない比喩になっているんだけど、それと同じくこの小説はヤク中とアル中の物語でもある。これもメタファーとかじゃなくて、もう薬物中毒、アルコール中毒そのもの。

まず、ガードにであう場面のボビの様子。これ、完全に覚醒剤中毒患者を描写しているようにしか見えない。食事も取らず寝る間も惜しんで発掘に勤しみ、その素晴らしさを称える。それに、その行為に実は後ろめたさを感じていたり、そのせいでガードに嘘をついたりする辺り、完全に薬物中毒の人の言動って感じがする。

アルコール中毒のほうもガードがもろアル中で、友人と夕方から飲み始めて何件もハシゴして記憶を失い、湯船で冷たい水に服を着たまま浸かった状態で目が覚め、めざめた途端便器の上のスコッチに手を出して飲み始める有様。

キングがヤク中アル中どっちも患っていたのは有名な話だけど、この小説を書いていた頃が一番ひどかったらしい。

爽快感のない小説で、確かにホラー小説かもしれない。

宇宙船に取り憑かれたボビと、アルコールに取り憑かれたガード。この二人が組み合わさってろくな結末を迎えるはずがないのは最初から明らかで、お互いになにか大切なものを失うことになるとわかっていながら、大きな力に抗えずにふたりとも流されていく。この、絶対的な力を持つものが(最終的に負けるにせよ)どんなに抵抗されてもやっぱり絶対的な力を振るう辺り、典型的なキングらしい小説かもしれない。書きぶりも、「彼が再び合うことは二度となかった」的な文章が数回出てきて。

そういうわけで、最終的にはヘイブンの住民全体がおかしくなってしまう。

しかし電話も通じず、町にも入れず、徐々にヘイブンの異変に気づく人も現れる。町を閉鎖しているものの、やがて事態が世間に知られるのも時間の問題。だが一方で宇宙船の発掘もそろそろ終わりがちかい。ハッチ部分が発掘されれば、そこから中に入って宇宙船をコントロールできる。そしてガードも発掘が終わればよそ者の自分は始末されると感づいている。

この辺で物語は加速し始め、表面的にはサスペンスも増す。しかし、いったいこの物語がどこに向かうのか。結局、何もかもが手遅れになってしまっている。ボビは人間ならざるものになっていて人間らしさがどこまでのこっているのかもうわからなくなっている。ガードもアルコールに溺れ、宇宙船の出す瘴気に蝕まれ、ほうほうの体で動き回っている有様。

最終的にはヘイブンの町は壊滅し、住民もみんな死んじゃうんだけど、その死にっぷりもなんだか疲れ果てた末の衰弱死という感じで、「IT」のクライマックスがぼんぼん花火を打ち上げる感じだとすると、「トミーノッカーズ」は祭りのあと、あちこちに散らかったゴミを拾い集めて掃除しているような雰囲気。随所にくたびれた感が感じられる。

まとめ。駄作なのか?

これがつまらないのかというと、そうではない。ちょっと辛気臭いところがあって、ちょっと長いのは確かだけど、つまらなくはない。何より、主人公二人が何度か思いとどまるチャンスはあったのに、ずるずると最後まで落ちていってしまう姿。これがこの小説の一番気になるところだと思う。ボビにはなんの落ち度もなく、たまたま森で宇宙船につまづいたのが運の尽き。ガードは、つきつめれば結局自分に負けてアル中になったのだと思う。そしてついぞ勝てなかった。この本には勝利とか、逆転する瞬間がないんですね。ラストも、それがとても印象的。

文章的には長すぎて、途中の流れが悪いところがある。途中、ストラウブの「フローティング・ドラゴン」が言及されて、あれも化学工場から薬物が漏れ出して、それに触れた人々がおかしくなる話だったけど、ここでもそんなことが起きている…という箇所がある。

その後、章立てが変わって、「フローティング・ドラゴン」が町の歴史から物語を始めたようにヘイブンの歴史が紐解かれるんだけど、ここが長い。ストラウブが点描で済ませていたところ、キングはゴリゴリと全力でヘイブンの住民を描写し始め、あそうか、ここからヘイブンの人々の物語が始まるのか、とようやく気づいたけど、結局この箇所はちょっとそれぞれのキャラが類型的だったり、人数が多すぎたりして読者の心が離れてしまいそうな気がする。結局どれが誰だかなかなか把握しきれないし。

SF的な面では、キングの超絶B級テイストがいかんなく発揮されてる。まず、住民が突然賢くなる原理とかは一切説明されない。放射能みたいに、宇宙船から大気に漏れ出した何かが作用してるんでしょ、くらいの感じ。そして住民が発明する機器の見た目の馬鹿らしさ。動力源は電池で、ボビは卵パックをたくさん買ってきてひとつひとつのくぼみに電池をおいて電池スタンドにしている。そして機器の方も、電子レンジやらテレビやら掃除機やら、既存の電化製品を適当にばらして、適当にはんだ付けして、配線をつなげて、電池につなげるととんでもない代物になるという適当さ。車は音もなく発信し、重いものは浮遊する。挙句の果てにコカ・コーラの自動販売機が空中を浮遊して人を襲い、物干しスタンドが火を噴く。原理の説明はない。

でも、ちょっと間抜けな町の住民とか、ダサい機器とか、その脱力具合が救いようのない物語の中でいい具合の息抜きになっている。この辺のバランス感覚はさすがという感じ。まあ、宇宙船の影響を受けた住民はみんな歯が抜けおちていたり、全体的にはもうかなり救いようのない雰囲気がただよってるんだけど。

読みやすいんだけど読みづらいし、何度も読む気にはなれない。それは長いからっていうより、ボビとガードの二人の落ちっぷりがなんだかみていてつらいものがあるからでしょうか。キングファンとしては、少なくとも一度は読むべきだと思います。「セル」「ローズマダー」とかよりはこっちを読むべき。

他のキング作品への言及について。

キングの小説は全部同じ世界観でつながっている、というのはもう当たり前なのですが、この「トミーノッカーズ」は他の作品への言及が殊更多い気がします。舞台がメイン州で、デリーの近くというのはもうお約束ですが、ちょっと気づいたもので、

デッド・ゾーン

デッド・ゾーンの主人公、ジョン・スミスに取材していた新聞記者が登場。

IT

電池を買いに出かけた町の住人だったかが、排水口にいるピエロの幻覚をみる、という場面がある。

タリスマン

ガードが海辺で会話する少年がなんと「タリスマン」の主人公ジャック。

炎の少女チャーリー

終盤で登場する国の秘密組織「店(ショップ)」は、「炎の少女チャーリー」でも悪の本拠地的扱いでした。

スティーブン・キング自身

メイン州のバンゴアに頭のおかしい話ばかり書いてる作家がいる…とか登場人物が言います。

その他にもあるかも。作品同士のつながりの多い作家で、普段呼んでいてもあまり意識しないけど、ここまで多いと嫌でも目につきます。この作品をもって引退するのでは、とか噂された理由にもなってるかもしれない。

その他、終盤では自作以外への言及が連続するのもなんか印象的。ゼーン・グレイの「ユタの流れ者」「少女レベッカ」、ジェームズ・ディッキーの「解放」(過去「我が心の川」現在「救い出される」という題で翻訳が出てます)。

テレビ版

「トミーノッカーズ」はテレビのミニシリーズにもなってて、ちょっとしょぼい特撮とかに目をつむればなかなか悪くない出来だったと思う。原作とはちょっと違っていて、主人公のガードはもうちょっと愛嬌のある役で、全体的にもっと親しみやすい感じになっていた。やっぱり予算かな。現在ではドラマもかなりの出来のものがおおいけど、当時は映画>ドラマくらいの感じで、「トミーノッカーズ」もSF長編を映像化するにはちょっと力及ばずってところか。