陸秋槎「元年春之祭(がんねんはるのまつり)」の感想。中国、歴史、少女、本格ミステリの傑作。

ふだん、どっちかというとアメリカイギリスの本を多く読んでいると、別の文化の本も無性に読みたくなることがある。文章のリズムが違う気がして、やっぱりどちらも魅力的。

で陸秋槎の「元年春之祭」。作者自ら怪作と呼ぶだけあって、かなり独特な読後感を残すインパクトの強い本でした。おもうに、それまで小説を書いたことがなく歴史小説も読んだことがないという著者がいきなり二千年前の中国が舞台の長編ミステリに挑んだことで、この本に対して私が感じるよさが生まれたのではないかと思います。

あまり小説としての定石みたいなものにこだわっていないところ、かなり気性の激しいところのある登場人物、息つくまもない展開、浮かび上がる残酷な真実。もちろん歴史ものとして、全体に横溢する中国古典からの引用、詩学談義も作者ならではのもので楽しめます。

それはつまり、あまり形式にこだわらない、書きたいものを書きたいように書いたという楽しさ。あとがきに書かれているように、書きたいものを全部詰め込んだというのがよく分かる作りで、それがちょっと荒削りな感触になっているとともに、ある種の勢いが生まれているのは間違いありません。これは計算ではなかなか出せない魅力だと思います。

それから、全体に溢れている、祝祭感に満ちた悲惨、とでもいうような不思議な感覚。個人的には「リテラリー・ゴシック」として分類してもいいお話だと思います。

それとも、これが著者の持ち味なのかな?よくわかりませんが、傑作です。個人的にツボにはまったというのもある。

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あらすじ

舞台はいまから2000年くらい前、前漢時代の中国。主人公は於陵葵(おりょうき)という金持ちの17才の娘、召使いの小休(しょうきゅう)という少女を従えて名家の観一家に滞在する。葵は観家の娘である露申(ろしん)と打ち解け、軽口を叩きあう仲に。観家には一族が集まり、間もなく執り行われる春の祭儀を準備中だったが、その最中に観家当主の妹が殺害される。才気煥発、博覧強記の葵はこの殺人事件の調査を始める。

が、あっというまに第二、第三の殺人。さらに、露申の眼の前で小休を激しく打擲し、それをみてショックを受けた露申に難詰され、そんなことをするなんて葵が犯人に違いないと断定される。葵はそれを否定し、冷静に犯人を推察するが…。

詩学談義と殺人ミステリと少女の感情むき出しのやり取りが交差する展開が面白い。

様々な祭事の解釈なんかがぼろぼろと出てくるところはいかにも歴史ものっぽくて面白い。屈原女性説とかのちょっと珍説っぽいものも開陳されて、そういう方面からみても面白いのかもしれません。ただでさえ2000年前の時代が舞台なのに、その時点ですでに古典になっている漢籍や昔からのしきたりについて議論が展開される様子、さすが中国4000年の歴史だと思います。

そして、それが純然たるミステリ小説に融合している点と、さらにその構造の剥き出し感。

前半しばらくは、葵と露申のじゃれ合い、観家での夕食時の衒学的な会話などが続いて、そこで観家の歴史と登場人物がだいたい紹介されます。

その後ほどなくして殺人事件が発生。そして、あれよあれよという間に第二第三の殺人が。そして間髪をいれず「読者への挑戦状」。ちなみに、この時点でまだ、全体の3分の2くらいです。

殺人事件も、第一の殺人は一種の密室殺人だし、二番目の殺人現場にはダイイング・メッセージがあるし、第三の殺人は白昼堂々の殺し、とどれもスタイルの違う事件で、もろ本格ミステリ小説になってるのが面白い。「読者への挑戦状」では、補足として叙述トリックは使われておらず、犯人は同一人物で、特別な知識は不要とされています。思わず私もそこまでを再読して犯人を推理してしまいました。

しかし、読者への挑戦状のあとも物語はしばらく続き、さらに人死にが出ます…。

ミステリ以外の点でも面白い。

 

全体を支配する人生観、運命の考え方みたいなものと、描写される連続殺人がひじょうに大陸的というか、中国らしい激しさを感じさせてくれてとても気に入っています。

その他の情景描写も、けっこう感情的に描かれているんですよね。描かれていて冒頭で少女(葵)が雉を射る場面。そこはかつて楚王の狩場だった。王の狩りのあと、一面に横たわる獲物の屍体の上で少女たちが舞い踊り、その衣が血に染まっていく…。そういう描写に後半は登場人物の感情が重なって、なかなかいいのではないかと思います。

もうひとつの大きな特徴であり魅力が、主人公たちの少女三人の感情の動き。人物の書き分けは十分にできてると思います。もちろん、何人かの登場人物が影が薄かったりほとんど登場しなかったり、というのはありますが、於陵葵、観露申、そして小休という三人の少女の活発な感情のやりとりはなかなか激しいものがありました。

単なる少女の戯れというのではすまないような、つい手が出てしまう軽口の応酬を超えたやりとりがあるのですが、作者は日本のアニメに多大な影響を受けているということなので思い描いているのはアニメのキャラクターなのかも。

最初は葵がホームズ役で露申がワトソン役なのかと思いましたが、もっと動きのあるもので、博覧強記で理知に優れた於陵葵、天真爛漫で疑いを知らない露申、ひたすら葵に付き従う小休、どの人物にもなにか晴れない陰のようなものがつきまとっていて、個人的には殺人事件の解決とそれによって変化していく彼女らの心がよく関連していて、そういう点でよくできていると思いました。

まとめ

P・D・ジェイムズみたいな、無表情あるいは陰気な顔で感情を抑えた会話が続いて淡々と警察の捜査が続いていつの間にかダルグリッシュには犯人がわかり、その結果苦い後味が残る、という話もとても好きなのですが、それとは真逆に、ばたばたと人が死んで登場人物が泣いたり怒ったりしながら推理してその結果、やっぱり激しい感情の揺さぶりがある、というこの本もとてもおもしろかった。

しかしP・D・ジェイムズを引き合いに出す必要はなく、ようするに、好みのタイプ。

ミステリとして見ると、安吾の「不連続殺人事件」のような感じがちょっとしました。貴志祐介氏のような、計算され尽くしたパズルのようなアリバイトリックも面白いのですが、「元年春之祭」みたいな消去法で犯人は絞り込めても動機がね…?みたいな本、好きです。ちなみにわたしは犯人の絞り込みも出来ませんでした。

わたしの場合、一度読んだ推理小説でだれが犯人だったか忘れちゃうことがよくありますが、こういうタイプの小説では犯人を忘れることはないと思います。

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