スティーブン・キングの小説「ビリー・サマーズ」(“Billy Summers”)の感想。

ようやく読んだキングの小説、”Billy Summers”。すでに映画化権が売れていて、ディカプリオ主演で映画化されるらしい。

主人公ビリーは腕利きのヒットマン。殺しから足を洗おうと思っている彼が最後に引き受けた仕事は、とある事件の証人になっているワルを暗殺するというものだった。簡単な仕事で報酬はたんまりのはずだったが、事態は思わぬほうに転がっていく・・・というストーリー。

主人公と、かれに仕事を直接依頼するワルと、さらにその上にいるボスとかがでてくる裏社会のお話で、超自然的な要素は(ちょっとしたファンサービスを除いて)なく、ホラーではない。犯罪小説、サスペンス小説になるだろう。ネタ的にはビル・ホッジズ三部作に近く、文章は現在系で語られるのも共通している。

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簡単なストーリー説明

かんたんに言ってしまうと、最後の任務はビルは嵌めようと仕掛けられた罠で、それに気づいたビルが黒幕を突き止め復讐しようとする、っていう話。これ、実によくある展開です。

もちろんキングだからそんなにありきたりな話ではないだろうと思って読んでいくと、やっぱり最初からキングならではのストーリーになっている。しかし中盤以降、さらに大きな変化が起き、物語の主題はサスペンス小説とはぜんぜん違うところにあるのが感じられてくる。

ビリーは幼くして母から引き離されあまりいい人とはいえない里親の元で育ち、18歳で海兵隊に入る。そこでスナイパーとしての才能を発揮し、イラクで任務につく。その後除隊し、裏社会でスナイパー稼業を始める。殺しを請け負う必要条件は、ターゲットが悪人であること。

で、そろそろ足を洗おうと思ったビリーは、最後の仕事を受けることにする。簡単な仕事で、報酬は莫大。ただ、ターゲットがいつ姿を現すかわからないので、しばらくの間田舎町で身分を偽って生活する必要がある。

身分を偽って周囲に溶け込み、暗殺のチャンスを待つ。この設定はケネディ暗殺ネタの傑作「11/22/63」ととてもよく似ている(あっちは暗殺を阻止する側だが)。

暗殺実行まで待機している間に、任務の難易度と報酬のギャップを訝しみ始めるビリー。お膳立てが整いすぎているのも怪しい。ビリーは当然の準備として、クライアントが用意したものとは別に逃走計画を立てる。

やがてターゲットが姿を現す。ビリーは難なく暗殺を実行し、自らのやり方で現場を離脱する。

ここまでで大体半分弱。

ここまでも、クライアントとのやり取りとか現場での準備とか隣人たちとの交流とかいろいろあるんだけど、暗殺後は自分を狙うものから姿を隠しつつ、はめようとした相手を追跡する話になる。

表面的には典型的な物語なんだけど、ちょっとちがうテイストが入っているのがキングらしい。その印象が中盤以降強くなっていく。

本当のビリーは読書好きの知的な男性で、冒頭でもゾラを読んだりしてるんだけど、裏社会ではちょっとおつむの弱い”dumb self”を演じていて、そのペルソナの裏に本当の自分を隠している。しかし暗殺実行までの間、本当の自分を隠す必要はない。本来のビリーの姿は隣人と親しく過ごしみんなに好かれる好人物で、だれにも怪しまれない。

隣人たちも良き人々で、かれらを欺くことに対してビリーは若干の後悔の念を抱き、自分の人生を顧みる。もちろん、腕前だけではなく態度もプロ中のプロなので、そういった感情が任務に支障をきたすことはないんだけど。

で、ビリーが偽装するのが作家っていうのが、この小説のキモなんじゃないかと思う。まあ、キングの小説では主人公が作家だったり教師だったりってのは多い。それはキング自身の経歴でもあるから書きやすいってのもあるのかな。ただ、それが特に重要な意味を持つわけではなかったと思う。もちろん、「11/22/63」とかのように主人公が高校教師としての活動も詳細に描かれたりはするけど、たんなるプロットの一部にすぎない。

その点、”Billy Summers”だと単なる設定を超えて、むしろ小説の主題と直結していると感じさせる。

ビリーは読書好きなだけでなく、実は何かを書きたいという強い衝動を感じていた。そこに提示された作家という身分はビリーにとって申し分ないものだった。偽りの身分だから、別に本気で書く必要はないし、ふりをしてればいいんだけど、いつしかビリーは執筆にのめり込んでいく。それは実体験をもとにした私小説のようなものだが、やがて自分の半生を振り返る自伝になっていく。

ヒットマンが主人公の犯罪小説でありながら、作中の主人公を偽の作家として設定し、その設定が最終的にプロットを乗っ取っていくような印象で、キングの小説に対する思いがかなり直接的に織り込まれていく。正直、かなり感動的な読後感だった。

運命感

全体の流れとしては、ちょっと「スタンド」っぽい。ストーリーとかネタとかそういう点では全然違うんだけど、最終的にこういう結末にたどり着いてしまう、というその流されていく感覚が似てる。主人公はすべて自分で決断し、行動してるのにね。

またこの小説の重要な登場人物であるアリス。突然現れ、その後はずっと主人公と行動を共にする若い女性なんだけど、この人との出会いは超偶然なんだよね。

アリスは専門学校に通う生徒で、顔見知りのチャラ男に騙されて男どもに薬を盛られレイプされ、意識不明のまま道端に放置される。それがたまたまビリーの隠れ家の眼の前。関わったらなにもかもが厄介なことになるとわかっていながら、人としてほっておけずアリスを助けるビリー。

この時点でビリーは暗殺実行後で、ほとぼりが冷めるまで隠れる生活をしている。アリスと出会わなかったらその後の展開は全く違ったものになっていたはず。そういう人物との出会いがこんな偶然でいいのか?とちらっと思うんだけど、全体として、それでいいのだと思わせる。その辺も、そして終盤の展開あたり「スタンド」っぽい。主人公がたどり着くのが、コロラド州ってのも「スタンド」っぽいしね。

「シャイニング」への言及

たどり着くのがコロラド州のサイドワインダーって町なんだけど、ここは「シャイニング」のオーバールックホテルの近くの町。というわけで、シャイニングネタが結構な量、入っている。

コロラド州の山を散策していたアリスが、谷の向こう(だったかな)に立派なホテルの幻影を見たり。ビリーが執筆に使っていた小屋に、動物の形に刈り取られた生け垣の絵があったり。その絵の生け垣が、見るたびにこちらに近づいているように見えたり。

ちょっとしたファンサービスとしては十分すぎる言及量。そして小説の最後、オーバールックホテルを登場させた意味がわかってくる。こういう叙述をしたいがために、登場させたのか…。感服。

「トミーノッカーズ」でも言及されてたジェームズ・ディッキーの「解放」が数回言及される。その登場人物のセリフも作中で使われている。

「セル」との関連について

これはまったく気が付かなかったが、アリスと同姓同名の人物がキングの別の作品「セル」にも登場している。私の中では駄作で、アリスなんて覚えてなかったが海外の読者がredditで指摘していた。

Billy Summers and Cell
by u/GrungeCat in stephenking

「ビリー・サマーズ」のアリスとセルの「アリス」は年齢は違えど概ね似たようなパーソナリティーの持ち主で、作中での役割も似通っている、とある。

さらに、ビリーはイラクでの従軍中幸運のお守りとして子供用の靴を大事にもっていたが、「セル」ではアリスがお守り代わりに子供用のナイキを肌身放さず持っている。

キングの中では両者は同一人物という設定なんだろうか。「セル」と「ビリー・サマーズ」、パッと見の共通点は殆どない気がするが、人物設定としては同じなのかもしれない。名前がまったく同じというのは意味合いが大きい。そのうち明かされることでしょう。

まとめ

主人公が元海兵隊員で、作中で自伝を書き始め、ひょっとしてこれはキングによる戦争小説になるのか?と思ったが、そういうことはなかった。そうではなく、むしろ「小説作法」みたいな”書くことについて”を考えさせられる小説になっていた。

暗殺や裏社会がらみのプロットも面白いが、暗殺の前と後とか、アリスとの出会いとかおおきな転換点があって、どういう風に話が進むのかわからない不思議な感覚がちょっとある。

ところどころで作中作として差し挿まれるビリーの自伝によって、過去のお話も少しずつ語られる。そのため、ビル・ホッジズ三部作みたいなライブ感は少ない。じゃあ現在進行系はなんのためかというと、終盤で書いている自伝が現在に追いついて、地の文と交錯する…というテクニックのためだと思い運だけど、さすがにこの辺は上手に処理されていた。

個人的にはかなりおすすめです。

 

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