「SFミステリ」と書いてあるけど、そうじゃない。長編のように見えるけれど、実際には連作短編集といったほうが正確だと思う。ミステリ、といわれたときに期待するような要素もなく、こういう宣伝文句は内容を誤解させそうなのでやめたほうがいいのではないでしょうか。
同じ小林泰三の「密室・殺人」も本格ミステリだったのに最初はなぜか角川ホラー文庫で出版されたようだし。
内容が変わるわけではないけれど、レッテルを頼りに本を選ぶ人も必ずいるし、思っていたのと違ったという理由で内容の善し悪しにかかわらず悪く評価する人もいる。
それはともかく、この「失われた過去と未来の犯罪」はとてもいい出来の小説だと思いました。
長期記憶能力を失った人類の物語
たぶん近未来、人の記憶を外部記憶装置に保存することが当たり前になった世界でおきた出来事を描いた作品。ただ、この本では単に補助的/拡張的に外部記憶を使うのではなく、脳の主要な記憶装置としてメモリが使われる。ここが面白いところで、この世界ではとある災害により人間の長期記憶能力が一切失われてしまっているのです。
手続き記憶など、小脳や運動に関わる記憶は保存されるものの、それ以外にはせいぜい十分前後しかもたない短期記憶しか持てなくなった人類。長期的な記憶、思い出といったものは、体のソケットに挿入する、小さなメモリに記録される。
この設定から発生する様々な出来事が短編の形でいくつも紹介されます。人格とは記憶そのものなのか。肉体には人格は宿っていないのか。魂とはなんなのか。
グレッグ・イーガンなんかのSFでお馴染みのアイデンティティについての小説です。
人格のコピー、仮想空間内での永遠の生といったネタはSFではもう当たり前ですが、SFはあまり読んでないのでこの手のネタで思い浮かべるのはまずグレッグ・イーガンです。「順列都市」「ディアスポラ」「ゼンデギ」といった作品、特に「順列都市」と「ゼンデギ」はまさに人格をコピーするってどういうことなのか、ひとのアイデンティティとはという問題を扱った小説で、面白い。
「失われた過去と未来の犯罪」は似たようなネタを扱いながらも、アプローチの仕方がぜんぜん違う。
なんていうのか…まあ、密度が違う。イーガンがコピーやクローンについての技術周りも含めた部分を非常に細かく描写し、現在と連続するようなリアリティを生み出しているのに対し、この小説は冒頭で長期記憶を失った直後の人間の様子を描き、その後はメモリによる記憶が一般化した経緯とその技術面を比較的あっさり書いているだけ。
これは決して悪いことではなく、むしろこの小説の素晴らしいところだと思う。イーガンはむしろ技術者的な観点で人格コピーを描き、小説内でオリジナルとコピーを対話させ、そこから生まれる哲学的対話を展開する。あるいみすごくストレートで直接的で、その後たどり着く結末も非常に感慨深く感じるものがある。
イーガンよりも読みやすく、それでいて結構深い。
それに対してこの小説は、面倒くさい経緯を省いて肝心のところだけ伝えてくれる。短編だし、それで十分なんである。星新一的というか。そして人格=長期記憶、交換可能な長期記憶という共通したテーマの短編が連続することで、読みやすさはそのままに、けっこう深いところまでネタを掘り下げていると思う。
イーガンの小説も面白い。「順列都市」には胸を突かれるようなところがあるし、「ディアスポラ」の最後にも感銘を受けた。「ゼンデギ」には単純に人格コピーについて考えさせられた。しかし、「失われた過去と未来の犯罪」には、なんというか昔楽しんだようなSF小説を堪能したな、という満足感があるのでした。そのへんも星新一的なんだけど、変にリアリティを追求しすぎてない分、おとぎ話的楽しさが満喫できるというか。その分設定につっこみどころや隙はあると思うけど、そのあたりも含めてジュブナイルっぽさもある。
記憶について、特に短期記憶と長期記憶の違い、人格と肉体の齟齬などもうちょっと突っ込んでほしい部分もあるけれど、それをやるとまた別の話になってしまう。この本ではそのへんのネタの扱い方が語られる物語に対して過不足なく、バランスがいいと思いました。
まとめ
実質的には短編集であるものの、全体を通した物語があって、そのテイストもほどよい不思議とか切なさとか希望とかが入り混じっていて好み。
SF的にはどうなんだろう、ひょっとしたらありきたりな話なのかもしれないけど、個人的には十分楽しめました。
お笑い要素はほぼなし、グロ要素もなし。けっこう純粋なSF小説です。ただし「SFミステリ」と書いてありますが殺人事件とか犯人探しとかの話ではないので、そういうのを求めないように。ミステリ…この本ミステリというジャンルに含まれるんだろうか。まあ幕間で語られる物語が、一種の謎解きといえば言えるかもしれない。しかしミステリと呼ぶのは誤解を招くと思うけどな。