「友成純一エッセイ叢書」の感想。伝説の猟奇作家で映画評論家でアル中の氏がいかに変態猟奇小説家となり、バリ島で暮らすようになったのか。面白いエッセイ集。

友成純一氏の名前を知ったのは、映画関係の文章が最初だったと思う。それから今でも有名な強烈な「獣儀式」「陵辱の魔界」を読んで仰天し、他の小説、エッセイも少し読んだ。

「獣儀式」なんかは伝説的な小説で、リバイバルされてどっかの文庫で出たりしたこともあったと思う。他にも多くの小説を書いているけど、デビューはリラダン論で、映画評論もたくさん書いていて、小説家の枠にはまらない執筆業を続けている。

翻訳もまともだった。むかしファンゴリアという短命なホラー映画雑誌があった。もともとはアメリカの雑誌で、日本版は独自の記事もあったけど、英語版の翻訳記事も多かった。そしてその翻訳がひどい。なんかよくわからないアルバイトに無理やり訳させたようなひどい訳で、ちょっと出版できるレベルじゃないような感じの文章あったような。

そんなファンゴリアの中で、ときどき友成純一訳の翻訳記事を見かけたことがあった。そしてこの人の訳はまったくまともで、バイトが訳したと覚しき珍訳とは雲泥の差だった。この人が翻訳してるからっていう理由でR.L.スタインの「迷信」とか「鍵穴から覗いたロンドン」とかも読んだ。

「迷信」は、訳者は一読して面白いと思った、と書いていたけど、個人的にはあまりツボに入らなかったみたいであんまし覚えてない。

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小説よりもエッセイのほうが面白い小説家

映画や小説の感想なんかでも意外と観点がずれていることがあって、氏が面白い、と言ってる映画が自分にはそれほど面白くなかったりすることはよくある。それはだれのおすすめ作品にもあることで(スティーブン・キングとか)、そういうことに関係なく氏の映画評論は最高に好き。

小説は、初期の数冊と角川ホラー文庫とかの一般的なやつを読んだだけだけど、正直なところそれほど面白くはない。というか、初期の「獣儀式」などがすごすぎて、後期の小説はウリだったはずの狂気の世界の描写が物足りない。思うに、「獣儀式」所収の「狂鬼降臨」のあまりに過剰な暴力描写は読むものをして自分の肉体がいかにちっぽけで、とるに足らないものか気付かせてくれるレベルに達していた。法律や道徳で構成された清く正しい人間社会がいかにもろく、一皮むけば人間も獣も一緒だということを、作中でたしか学校の教室で豚のように飼われている人間たちの描写がよく思い知らせてくれた。

友成純一の小説の面白さはそういう人や社会の本質?を見通す冷徹な態度にあって、ストーリーとか人間どうしのドラマはほとんどどうでもいい感じ。角川ホラー文庫の「幽霊屋敷」とか、「ナイトブリード」とか普通っぽいあらすじのある小説はイマイチ物足りない。

そして、小説よりも映画評論やエッセイのほうが面白かった。ある種の視点が確立されているからかな。

ロンドン暮らしの日々を綴った「ローリング・ロンドン」や「内蔵幻想」は面白く、読みやすいし、アル中だったころの話や革マル派との接触など、めずらしい体験談も豊富だった。エッセイでは極端なグロ描写なんかも出てこなくて、「ローリング・ロンドン」を読んでると至極まっとうな人に思える。毎日原稿を書く友成氏に触発されて、近所の飲んだくれが真面目になって仕事を始めたなんてエピソードもあったような気がする。

そんな友成純一氏のことがふと気になってネットで調べてみたら、なんとかつての小説群が電子書籍でたくさん販売されているだけでなく、4冊のエッセイ集まで出版されていた。かつてアル中だったのに今でも酒飲んでるみたいだったり、バリ島で世捨て人みたいな生活をしているみたいだけどたしか学生結婚してたのでは…とか、いろいろ気になってキンドルで4冊まとめ買いしました(なんか割引になってた)。

とりあえず2冊読んだ。

バリ在住の現在の氏の様子「バリ島裏町日記」

「バリ島裏町日記」は、2018年現在の氏のバリ島での生活ぶりが描かれています。ときどき日本に帰りながらも、もうバリに定住しているみたい。売春宿が並ぶとおりに部屋を借り、飲むときは数日か何週間ぶっ続けで飲み、その後シラフの規則正しい生活をしばらく続けるというなかなかすごい生活を送っているのですが、こんな飲み方しながらよく元気でいられるなあと思います。友成純一の友人だった仙波龍英という歌人は同じくアル中で、若くして亡くなっていますが。

ダイビングにいった島でそこら中蚊に刺され刺された場所に蝿がたかって全身汁だらけの大変なことになったり、バイクで事故ったり、インドネシアの風土病らしいアサムラと呼ばれる病気にかかったり、骨折したりしながらもまだ元気なのはもともと友成純一氏は頑丈にできているのでしょう。

このアサムラという病気がなかなか大変なもので、血中の尿酸値が高くなって起こる痛風と説明されるのですが、いわゆる痛風とはだいぶちがい全身に痛みが走るひどい症状。著者があとで聞いた話をそうごうすると、どうやらギラン・バレー症候群なのではないか、ということです。現地では多くの人がかかってる病気のよう。

売春宿や飲み屋が並ぶとおりに暮らしているのですが、べつに荒んだり特別危険な地域というわけではなく、むしろ日本の都会では失われつつある昔ながらの下町の雰囲気が残っている様子です。

ダイビングにはまったり、酒に溺れたり…なかなかに波乱万丈な人生。小説家としてはもう過去の存在と自ら認めていて、後期の小説があまりおもしろくないと自分で言ってもいる。しかしまったく卑下したり萎縮している様子はなく、人生を謳歌している。今は新作もなく、過去作の売上も大したことないようだけど、それを特別苦にしている様子もない。自分が確立している人。

猟奇作家の誕生

これは主に大学卒業から新人作家となり、バブルで大忙しになり、それからまったく売れなくなるまでの日々を綴ったエッセイ。

たいへん面白い。かつてのビニ本やSFスナイパーなどのアングラ業界から始まってSFやノベルスの世界、さらに著者が入り浸っていた新宿のゴールデン街の様子などが詳細に書かれていて、当時の業界の様子がよくわかる。友人の竹本健治とか竹熊健太郎とかいろんな人が登場して、資料的にも面白い。

ゴールデン街に出没した映画評論家の小川徹のもとでいつしかアルバイトを始めるようになったのも不思議な縁のように思える。小川徹の指導によって、映画評論家としての下地ができあがっていっているように思えます。

携帯もない時代友人との長電話は当たり前で、10時間、最長で26時間も電話してたとか…。アル中時代の幻覚幻聴や、二度目の奥さんとの結婚そして離婚の顛末など…いろんな雑誌とか、かつて読んだエッセイとかで断片的に知っていた氏の様子がつながって大変興味深いものでした。

とにかく原稿依頼が舞い込み書けば売れるバブルの時代。そのころの雰囲気や様子がどことなく懐かしい。

それにしても、この人は典型的なアル中なんだけどそれを病気としてとらえるのではなくそういうものとしてずっと酒と付き合っているのがすごい。大量飲酒期間と断酒期間を交互に繰り返して、酒のせいで仕事を不意にしたりといったこともたくさんあるにも関わらず、酒への嫌悪感みたいなものがない。

「自分で自分をアル中だと思ってるから、アル中なんだ。自分でそう思ってる限り、友成、お前は間違いなくアル中だ。絶対に治らん」

「酒から開放されるのは、酒などやめるに及ばないと自覚した時だ」

どっちもアル中の、それぞれ精神科医と稲垣足穂の名言。つまり酒を飲もうが飲むまいが、アル中かどうかなんて気にせず開き直ってしまう。そうすれば確かに、アル中で悩むことはなくなるでしょう。

バリに住む今でも、ごく普通に、昔と同じように、飲み始めたらとことん飲むという生活スタイルらしい。氏は稲垣足穂が大好きで、氏が飲み始めたのも足穂みたいになりたかったというのが理由の一つとしてあるそうですが、それにしてもよくそんなに飲み続ける体力があるものだと感心してしまいます。

まとめ

昔から好きだったの人なので、とにかく元気?でいることがわかってよかったです。そしてかつての著作が電子書籍でたくさん出ているだけでなく、その多くに書き下ろしの「あとがき」が追加されているという。むしろそのあとがきが読みたい。もちろん初期の小説にも興味あるのでこれは買わざるを得ない。

小説はかなり特徴的なので好き嫌い分かれると思いますが、このエッセイ集はとてもおもしろくおすすめできます。

 

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