「コスモス:時空と宇宙」 第1話の感想。

Netflixで「コスモス:時空と宇宙」というドキュメンタリーシリーズを見ました。とりあえず第1話。これは傑作なので、観て損は無いと思います。

1980年にカール・セーガンの司会で放送されて非常に評価の高かった番組のリメイクだということです。

宇宙の広さとか、ビッグバンから現在まで百数十億年たっているとか、言葉で説明されてもなんとなく実感のわきづらい事柄が視覚的にわかりやすく表現されている。この番組はある意味で映像の力をもっとも効果的に発揮できているのではないかと思います。百聞は一見にしかずで、時間と空間のスケールを表現するのに言葉を費やすよりこの映像を見てもらった方が納得できる。素材となるCG映像も素晴らしいけど、その入れ方もけっこうテンポがよくて、番組としてもあきずに楽しくみられると思う。

カール・セーガンの考案した、ビッグバンからスタートして現在までを1年365日に換算した宇宙カレンダーという概念も視覚的にわかりやすく表現されている。これによると、人類が誕生するのは1年の終わりの最後の1、2分。

人間、地球って宇宙的にはちっぽけな存在だということが身にしみる。もちろん人間として人間の尺度で生きている以上、この番組をみたからと言って身の回りの雑事から宇宙的に解放されるということはないんだが、袋小路に陥った思考を程よく休めてくれたり、自分を客観視する助けにはなる。そういう意味では、不思議だけれど面白いコメディと同じようなリフレッシュ感が味わえるかもしれない。

あとは、やっぱり宗教と科学の関係について考えてしまう。

進化論を学校で教えるのが禁止されたり、聖書に書かれていることが本当に起きたと信じている人がたくさんいたり、という話をいろいろ見聞きするにつけ、アメリカにおけるキリスト教の影響はすごいなぁと思ってしまう。イスラム教におけるISISとかボコハラムみたいな集団もたくさんあるんだろうし。

生物は神が創造したのではなくダーウィンが進化論で描いたように進化し、宇宙も神が創造したのではなくビッグバンから百数十億年かけて現在の状態になったということがわかっているいまでも、やっぱりキリスト教は信仰されているし、聖書の反証を生業にしているともいえる科学者や歴史学者、考古学者のなかにも、キリスト教やその他の宗教を信仰している人はたくさんいるだろう。

非科学的叙述に溢れた聖書の内容が全て歴史的事実であると信じる原理主義者たちと、救いに必要なすべてのことが聖書に記されてはいるが、その記述は時に比喩的であると考える人たちとでは、おなじキリスト教徒だとしてもそれぞれの考える世界のあり方は相当に異なっているように思う。

科学の発展を歴史的な面から見た場合、信仰の深さと知的誠実は比例したのだろうか。かつては信仰と事実を追求する知的誠実はお互いに相反し補強しあい、科学と神学を作り上げていったが、やがて科学的発見の蓄積が聖書から歴史書としての役割を消し去るようになり、現在では、知的誠実はそれのみで存在しうるようになった。科学は科学だけを礎にしてさらに発展を続けられる。

ただし、それは信仰を否定するわけではない。結局、人は生きている限り意味を求め、科学だけでは事象に意味づけができない。ビッグバンの前に何があったのか、と問うのは、ビッグバンはなぜ起きたのか、ビッグバンの意味はなんなのか、と別の聞き方をしているだけに思える。

カール・セーガンの「コンタクト」という小説では宇宙飛行士が無神論者であることが議論になり、「宇宙が始まる前には何があったのか?」というサイエンスノンフィクションでは、結局は神による創造論の是非について答えを探しもとめているようにも見える。

とりあえずまだ1話目しか見ていないので、これから続けてみてみる予定。

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