「アメリカン・ゴッズ」第8話「決戦前夜」の感想。およびシーズン1全話通しての感想。

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アメリカン・ゴッズ シーズン1の最終回。結末は。

アメリカン・ゴッズもいよいよ第1シーズン最終話。何もわかっていないままウェンズデイにあちこちふらふらと連れ回されているシャドウが覚醒する日は来るのか。

ラストはどうなるのか。

一応、ようやくウェンズデイの正体が明かされ、シャドウも自分のおかれた立場を認識し始めますが、物語は一段落というわけではなく、普通に次のエピソードに続いていきます。

今回はわりと沢山の神々が登場します。

ビルキス=シバの女王の物語

今回も、アメリカにやってきた神のエピソードが語られます。今回の主人公はビルキス。第1話で夜な夜な餌食を漁っていたシバの女王です。

いまでこそ娼婦に身をやつしているビルキスですが紀元前800年代の彼女はすごかった。自分のための神殿があり、そこで快楽におぼれる信者たちを取り込んでしまうんですが、一度に何十人も取り込んでいて規模が違う。以下に当時信仰されていたのか分かります。ところがその権力を快く思わない男がいて、たびたび彼女に「戦い」を挑む。もちろん、多くは負けて取り込まれてしまう。

やがて時代も変わり行き、ビルキスも生き延びるために世の中に適応していく。1979年のテヘランのディスコで、飛行機の中で、ビルキスは獲物をねらう。実際それなりにやっていっているようですが、そうした力を排除しようとする男たちの力は強く、徐々にビルキスは力を失い、落ちぶれていく。

ビルキスの凋落はイスラム系過激派による古代遺跡の破壊と重ねて表現されます。そのほかビルキス衰退の原因は男根至上主義的社会にある、と大雑把に言っているようにも見えるのですが、ここは単純に女性性をとくにアピールする女神に対して、見た目的に対比がいいから男性性を敵側に持ってきてるだけだと思います。

(1979年のレトロなディスコ場面で思い出したが、なんで新しい神のメディアは昔流行ったものの格好をして出てくるんだろう。テクニカル・ボーイの格好も「時計仕掛けのオレンジ」的レトロを感じさせる。)

結局、落ちぶれたビルキスはテクニカルボーイが持ってきたスマホを受け取り、それを使って新しく夜の商売を始め、そこそこ繁盛し、第1話に至るというわけです。

アナンシー=スーツの仕立屋

と言う話を、ミスター・ナンシーがスーツを仕立てながら語ります。ミスター・ナンシーとはもちろん第2話に登場したアナンシーのことで、いつも派手なスーツを着ている彼の現代の職業はオーダーメードスーツの仕立屋のようです。

アナンシーもなかなか芸達者な感じで、いいですね。ハッタリも効かせられるし、蜘蛛に化けてこっそりウェンズデイを助けたりもしてたし、わりと活躍しそう。

個人的にはアナンシーの虎のタマタマをとっちゃう話が面白かったのでそれが聞けるのかと思ったのですが。虎のタマタマの話は後々のエピソードで登場することがあるのだろうか。アナンシーのキャラがちょっと変化しているので、虎玉はなくなってしまうのだろうか。

春の女神、エイオストレ=イースター

今回もう一人出てくる神は春の女神エイオストレ。この人はかなり力のある神で、イースターで本来信仰されていた女神だという。それが、いつのまにかキリストの復活祭とダブってしまい、今ではイースターはキリストの復活を祝う日になってしまった。

なんで春の到来を祝うイースターがキリスト復活祭になってしまったのか。エイオストレによると、たまたまキリスト復活が同じ日だったんだそうだ。

逆にそれがよかったのか、キリストが人気を誇っている今日この頃、勘違いとはいえ人々はイースターを祝い、イースターエッグとかいろいろな形で彼女を信仰してくれるので、エイオストレは豪華な邸宅で裕福に暮らしている。

超ジェントルなキリストたちもイースターを祝いに家に集まってくれるし、エイオストレの側に何の悪感情もない。

しかしどうしても彼女の力が必要だったウェンズデイは、キリストのお陰で暮らせているが、本当にイースターがエイオストレを讃える祭だと知っている者なんていない、忘れ去られている、それでいいのか、と、信仰を取り戻す戦いに参加するよう焚きつける。

しかし、これが日本だったらもっと混乱した事態になりそう。

たぶんイースターもちょっとしたきっかけがあれば流行り始めることはあり得る。イースターなんて意味を知っている人でも、キリストの復活祭だということだけ知っている人が多いだろうし、そもそもエイオストレなんていう女神を知っている人なんて僅かだと思う。流行った場合、とりあえずごちそうを食べてセックスをする日、みたいになるのではないか。

仮にそうなった場合、それでも女神としてはありがたいもんなんだろうか。というか、今の日本のクリスマスの祝い方でもキリストは満足してくれてるんだろうか。

このドラマのキリストだったら、許してくれそう。信仰される地域ごとにそれぞれキリストがいて、当然日本バージョンもいるわけだし。

キリストたち

以前のエピソードで、メキシコ版のキリストが登場しましたが、今回は全世界各地バージョンのキリストがエイオストレの地所に集結しているようです。本家はナザレのイエス。プールでもやっぱり水面で座したまま浮いています。そこでコップをうっかり水面においてしまい、「あぁ、沈んだ」っていうのが間抜け。キリストたちはいちいち後光が差していて笑えます。

ま、キリスト自身はイースターの本当の意味を知っていて、エイオストレに若干申し訳なく思っているような感じ。

オーディンと新時代の神の対決

と、たくさんの神々がでてきてにぎやかではあるのですが、肝心の物語はどうなるのか。

エピソードの最後では、ようやくウェンズデイが自らの正体をオーディンであると名乗り、新時代の神々に迎合するつもりはないことを明言。

この名乗りの部分は迫力があり、ようやくウェンズデイの神らしい力が発揮されるのが見られる。でも、ウェンズデイ=オーディンってもっと前にわかっていたような。

エイオストレも迫力に押される形でウェンズデイの側につきます。エイオストレは春の女神で、春が来るのは彼女のお陰。つまり、彼女の以降次第では春をなくすことができる。

エイオストレはその強大な力で、春を無くしてしまう。草木は枯れ、芽吹いていた双葉は地中に戻り、大地は茶色い不毛の荒野になってしまう。

ウェンズデイは新時代の神に、わたしたちが春を奪ったと人々に伝えろ、と告げる。人々が信仰したら返してやる、ってことでしょうか。新時代の神にとっては宣戦布告です。次回から、いよいよやりあうのかな。

最後に長距離バスで移動中のビルキスが登場します。しかしビルキスののるバスは怪しい車に前後を挟まれ停車させられる。神々の争いの最初の犠牲者はビルキスになりそうな雰囲気。それとも別の企みがあるのか。というところで、ドラマは終わり。

長いので、感想は以下。

エピソード8及びシーズン1通しての感想。

エピソード8では他にもローラとレプラコーンも登場します。レプラコーンはコインを取り戻すためにローラを生き返らせようとして、エイオストレのところにやってきます。春の女神は生命を与えることもできる。

しかし、そこでエイオストレが発見したのは、ローラを殺したのは神だということ。神による死は変更できず、ローラは生き返れない。ローラは怒り、自分を殺した神を追求する。

追求すると言ってもレプラコーンのキンタマを握りしめて誰が仕組んだのか言え、と迫るだけですが。

この辺のローラがらみのエピソードは原作とは違っています。ローラの結婚前の生活でも1話まるごと使われていたし、原作よりだいぶ出番が増えている。原作でもちょこちょこ出てきてはいたが、脇役から主役級に昇格している感じ。

それにあわせて?レプラコーンも大幅に格上げ。これもだんだん魅力が出てきて、いい感じになっていると思う。

当初は原作に忠実という評判だったと思うし、確かに最初を見ている限り、結構忠実にドラマ化しているなと思ったのですが、ここまで見てみると随分変わっているところがあります。

各キャラクターの細かい設定や、登場する場所や人物の時系列をいじるだけではなく、ローラやレプラコーンやサリムみたいに原作にない設定、出番を増やしてあたらしいエピソードがかなり増えている印象。

そして、物語の進行具合も、原作の上下巻にわたるあちこちのエピソードがでてくるのではっきりはわかりませんが、全体の原作消化率は半分行くか行かないか、といったところかな。

このペースで行くと、シーズン2では終わらずシーズン3まで続く可能性もある。すべてはドラマオリジナルエピソードのふくらみ具合によると思います。

だいたい面白いので長く楽しめるのはいいとして、そのオリジナル部分と原作本来のストーリーがうまく絡んでくれればいいなと思います。

神々の紹介の仕方や描写については、仕立屋のアナンシー、タクシー運転手のジン、葬儀屋のアヌビス、それからキリストの大盤振る舞いなんかも含め、どれも良くできている。神話とかでイメージしていたものとはまったく違ったりもするけれど、あくまでもアメリカへの移民が連れてきた神なので。ウェンズデイの老獪なペテン師っぷりもいい。

全体的に評価は高いのですが、原作未読の読者だと当惑してしまうかな、という点もなきにしもあらず。とくにウェンズデイの正体とか、目的とか、勘のいい人はうすうす分かるけど分からない人はわからない、という部分がもどかしいので、いっそわりと序盤のエピソードではっきり明言すべきだったと思う。その方が、後々の展開のためにもいいはず。

へたするとエピソード8まで見ても、結局なんだったの?あのメディアとかテクニカルボーイってだれなの?という人もいるかもしれない。自分は原作既読なのでわかるんだけど、ちょっと説明不足だよな、と確かに思う。

ただ、ドラマ自体はバリエーション豊かな挿話とかわりと凝ったディテールとかヴィシュアルエフェクトをみていても楽しめるので、意味不明ながらも飽きずに見られる。

一番の問題は、主人公のシャドウ。

どうにも、主人公に魅力が感じられない。主体性が皆無で、ウェンズデイに連れ回され、振り回されているだけ。その過程でなにか成長したり、役だったりしている様子もない。車の運転もウェンズデイがしているっておかしくないか。部下なんだから運転くらいシャドウがやるべきなんじゃないの?

ローラには「パピィ(子犬ちゃん)」と呼ばれているシャドウだが、そのイメージを出し過ぎたのか。

様々な神やいろんな不可思議な出来事に遭遇してもそれが信じられず、当惑するばかりのシャドウはどうも鈍いやつに思えて仕方ありません。原作だともっとクールなやつという印象で、状況を分からないながらもシャドウ自身が行動する場面がたくさんあるのですが、ドラマではほんとうに引きずり廻されているだけ。

まあ、そんな彼も8話でようやくウェンズデイの正体に気付き、これまでの不可思議なことや神々の存在、すべてを信じることができた。それから視聴者にも、シャドウがウェンズデイの元で働くようになったのは、すべて仕組まれていたということが知らされ、シャドウには何か使い道があるはず、ということが分かる。

そんなわけで、今後はシャドウの主人公としての本領がいかんなく発揮されることを期待し、シーズン2を待ちたいと思います。

なお、これを見るために入ったamazonプライムですが、お試し期間が過ぎたので年会費を払ってプライム会員になってしまいました。

他のamazonプライムビデオも見ているし、音楽も聴けるし、これで年間3,900円は他のサービスと比べると安い。アメリカン・ゴッズだけが目的だとしても、かりに再来年に放送されるとして、それまで待っても3年間で1万2千円。途中で止めることも出来るし。安いな。

「アメリカン・ゴッズ」第7話「マッド・スウィーニーへの祈り」の感想。
ニール・ゲイマン原作のドラマ「アメリカン・ゴッズ」も第7話。 全8話なのでいよいよ物語も佳境に入るのかと思いきや、今回は第4話のような一休みの回。 副題は「マッド・スウィーニーへの祈り」。マッド・スウィーニーというのはこのドラマでのレプラコーンの通り名。そういえばレプラコーンは自らレプラコーンと名乗...
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