「アンという名の少女」シーズン1の感想。退屈を感じさせない、今風のドラマ。

「赤毛のアン」の映像化決定版、とも言われているドラマ、「アンという名の少女」のシーズン1をとりあえず最後までみました。

追記:シーズン2の制作が決定しましたね。2017年秋に撮影開始、放送は2018年の予定だそうです。エピソード数も10話に拡大する予定。

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全体の印象

全7話で、最近のドラマとしては割と短め。すぐに見終われます。が、まったく途中で終わっているので続きが気になります。こんなところで終わるなんて・・・。

孤児だったアンがグリーンゲイブルズ(と呼ばれている家)のマシュー兄妹に引き取られ、いろいろな困難にめげずに前向きに生きていく姿が描かれているドラマだと思います。

感想

今回のドラマ版ではアンの過去の虐待に近い待遇や孤児院でのイジメ描写が挿入されたり、突然その記憶がフラッシュバックしたときのアンの様子がいきなり異質な演出で描かれているので、その辺がいままでの映像化とはひと味違うみたいです。個人的にはアンのPTSD的な様子とか、辛いことがあったときに架空の友人を作り上げて対処するといった描写にちょっとやり過ぎ感を感じるところもありましたが、前評判で言っていたほど暗いとかダークな印象はなく、アクセントが効いてて別に悪い印象はありませんでした。

それ以外では、物語で起きる事件の描き方とか、登場人物のダイアローグがどれもテンション高め。なんというか大げさというか、少なくともわたしが赤毛のアンに抱いていた牧歌的なイメージではない。起きる出来事も火事とかだれか死んだとか病気になったとか、サスペンス満載で、正直おなじNetflixでみた「ザ・シューター」と同じレベルのスリルを味わえます。

役者は表情のアップも多く人物の感情の動きがよく表現されていて、演技は問題なく、悪くないと思いました。

原作でもそうなのかは分かりませんがフェミニズムがちょっと出てきたのと、あと思ったよりもマイノリティの問題が出てきていた。アンを引き取るマリラは独身で、「いい妻になるのが女性の務め」といった神父の言葉に動揺したり。それからアンの親友の叔母さんはもろに同性愛者で相手が亡くなるまで生涯を愛する人(同性)と過ごした、と明言しています。その叔母さんがアンに愛は素晴らしいものと諭す場面があったりするのはLGBTへの配慮でしょうかね。

演出のテンポ、トーンと、起きる出来事の両面で、かなり現代風にアレンジしてあるのかな、と思いました。今の時代にドラマシリーズで客を引っ張ろうと思ったら、まあ成功しているのではないかと思います。

その他

アンは読書家で空想好きですが、親友と秘密基地的な隠れ家でものがたりを考えたりしているところはオタク的な雰囲気を感じました。また学校で女子が集まってお昼を食べたり、うわさ話をしているところなんかに時々すごく女学校的な雰囲気が出ていた。不思議なことに、好きな男子のお見舞い用に女子が集まってパイを作っているところでは、そういう雰囲気はない。

セットは全体的に良くできていて、安っぽくない。

女子はアンと同じ学校の生徒で何人か登場します。それなりにキャラ分けが出来ていますが、すこし印象に欠ける感じ。まあ脇役ならこれで十分か。

男子は美少年が二人出てきます。一人はグリーンゲイブルズで農作業に雇われているイタリア系の少年ジェリーで、童顔で幼い印象の少年。劇中でも、あるお屋敷に一晩泊まることになった際、一人で寝るのは恐いとかいってアンの布団にもぐりこんできて、幼さを前面に押し出します。

もうひとりはギルバート君で、アンに引けをとらず頭がよく仲良くなりかけたのに、父親が亡くなって学校も止めてしまう、愁いをおびた美少年です。

こうした脇役のエピソードもドラマ展開に幅を与えてくれそう。

今後の予定

このドラマはNetflixとカナダのテレビ局CBCの共同製作で、カナダで先に放送されました。カナダでの視聴率も悪くないようで、Netflixでも好評のようです。ドラマ自体も賛否両論ありながらも話題になっているので、まだ制作決定にはなっていませんがほぼ間違いなくシーズン2はでるでしょう。いつになるのか分からないが、次シーズンも続けてみる予定。

→2018年にシーズン2放送決定しました。