映画「少年は残酷な弓を射る」の感想。幼い子を持つ人のためのホラー映画。

ライオネル・シュライバーの”We need to talk about Kevin”が映画化され、「少年は残酷な弓を射る」という不思議な邦題になった。

いかにも単館アート系っぽいタイトルの付け方で、この映画にはよく似合っていると思う。主人公がティルダ・スウィントンというところですでに単館アートの雰囲気がぷんぷんしてくる。

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息子の行動が全く理解出来ないお母さんの物語。

お話は、主人公エヴァの現在と過去が交互に語られる形で進んでいく。

現在のエヴァは一人暮らしで、旅行会社の雑務係の職を得たところ。しかし家や車にペンキをぶちまけられたり、近所のおばさんに、すれ違いざまいきなり顔面パンチされたり、なにか大変なトラブルをかかえている様子。そのエヴァが時折過去を回想する形で、過去の場面が語られる。

過去のエヴァは会社の重役のようであり、現在とはまるで違った様子。生活に困る様子はなく、子供がうまれ、公私ともに充実している。のちに女性冒険家で旅行記なんかを出版している、とわかる。

しかし、生まれた子供ケヴィンがものすごく反抗的で、最初からエヴァに対して敵意をむき出しにしている。

成長してもケヴィンのエヴァへの反抗はおさまらず、エヴァは常に緊張状態で大変そう。

交互に描かれる現在のパートでもエヴァは村八分のような状況なんだが、この現状の理由がどうやらケヴィンにありそうだ、ということがだんだんわかってくる。

過去パートでもケヴィンの態度はどんどん悪化し、やがてエヴァの過去と現在を決定的に分かつ大きな事件が起きる。ようするにケヴィンがとんでもないことをしでかすんですね。

この事件が映画のクライマックスでもあって、それを映画のラストにもってくる構成にしてあるんですね。

原作は”top 10 twists in fiction”というブックレビュー記事でも紹介されていて、なんかどんでん返しがあるのかなと思っていたけれど、映画を見ている限りそういうのはなかった。原作は書簡体小説なので、その手法を利用したひねりがあっても映画で再現は難しいのかも知れない。たぶん時系列をいじることで、原作の「ひねり」ににた感じを表現したのかな。どっちみち原作読んでないのでわかりませんが。

サイコホラーというより、親子の絆とかの話。

表向きは息子のケヴィンがやばい、という話なんですが、これはサイコホラーとかではないと思います。ケヴィン側の心理描写がなく、なぜそういう態度をとるのか、なぜなのかというのはまったくわかりません。ホラーではなく、親と子の関係、きずなを描いた映画かな。

しかし、自分の子供がおかしかったらどうしようとか、親は必ず心配するものなので、ケヴィンのおかしさに理由なんかなくても、ついついエヴァに感情移入して見てしまいますね。

ただただケヴィンに翻弄され、狼狽し、なんとかしようとあがくエヴァの姿がみていて大変そう。現在パートでも、ケヴィンとは種類の違う悪意にさらされていて、大変なことこの上ない。

これが全部あの糞ガキのせいかと思うと、本当に恐ろしいですね。自分の子があんなふうになったらどうしよう、とかついつい思いますよね。自分の子がいなくても。

しかし、エヴァは手を焼きながらもケヴィンを見捨てたり、無視したりはしない。過去にも、常になんとかしようとしていたし、現在でも、収監されているケヴィンとの面会は欠かさない。

この映画のエヴァとケヴィンの関わりで面白いのは、よく考えたらエヴァはケヴィンのせいで地位も名誉も何もかもを失い、さらにまわりの悪意にさらされることになったのに、ケヴィンこそがエヴァが悪意に耐えて生きていける理由のように見えるところ。

といってもケヴィンのために生活する、といったことではなくて、エヴァは痛みを反芻するようにケヴィンとの関わりを回想し、そこで感じる罪悪感を理由に、現在の自分の境遇を受け入れているように見える。ケヴィンが何かしでかす恐れもうすうす感じていたわけだし、こうなったのも自分の責任だ、と。そうでもなければ、いきなり殴られたり、卵全部割られたり、耐えられない。

ラストシーンはけっこう良かったと思う。

この奇妙な感じはラストシーンで頂点に達する。和解があるわけでも、謝罪があるわけでもなく、なぜやったのかときかれたケヴィンは「まえは分っていたと思ったけど、もう分らなくなった」と答えて、ふたりはぎこちなく抱擁する。

映画を見ているとケヴィン君はつねに積極的な悪意を持ってエヴァに接しているので、どうみてもどこかに欠陥があるとしか思えないけれど、子供時代に風邪かなんかにかかったときだけは母親にだっこされて本を読んでもらい、いつもの敵意は消えていた。

ラストシーン、18才になり、今いる子供向けの刑務所から本当の刑務所に移されることに恐れを感じているケヴィンも、風邪を引いた子供の時と同じように無防備で弱い存在で、そこでふたりは抱き合うことができる。

ケヴィンも完全に理解不能な化け物ではなく、母親に対する何かしらの愛情はあったということなんだろうか。

それをエヴァは、いまさら望んでいたんだろうか。しかし結局、エヴァはこのさきもずっとケヴィンを心にかかえて生きていかなければならないし、ケヴィンの記憶があるから、耐えていけるというふうにもとらえられる。

見方によってはこのラストが一番怖い、というかつらい。きれいさっぱり片がついたらいっそよかったのに、とも思うし。しかし、エヴァはやっぱりケヴィンに愛情をもっているようにも思える。

この映画でも記憶に残るのはどこまでも悪ガキのケヴィンの相手をする、やせて目をぎょろつかせたティルダ・スウィントンの様子ですね。

なおティルダ・スウィントンの演技は高く評価されて、なんかの賞もとったらしいです。

ケヴィン役もいい。幼年期、少年期、青年期と3人の人が演じていますが、どれもいい。幼年期の、スターウォーズのアナキン・スカイウォーカーが凶悪化したような、憎たらしくも愛らしい子供はロック・デュアーという子役が演じています。少年期はちょっと不気味な雰囲気を醸し出してよく似合っています。青年期はエズラ・ミラーで、上目遣いの悪そうな目つきがなかなか良い感じ。最近はけっこう活躍しているようです。