「ダークタワー」の感想。原作は忘れろ。二丁拳銃アクションが冴える、一風変わったアクションファンタジー。

あれ?意外と面白い…

そういうわけでスティーブン・キングの大作を映画化した「ダークタワー」を見てきたので、感想を書きます。

まずはじめに、原作の「ダーク・タワー」は全7部からなるダークファンタジー巨編で、著者はモダンホラーの帝王と呼ばれるスティーブン・キング。そして著者自身が、この作品こそ自分のライフワークであると明言し、実際に他のあらゆる作品にリンクし、キングが作る世界観の中心となる作品となっています。

映画の宣伝を見ると、そういうキングのライフワークとか、超大作という点を強調しているようですが、だまされないようにしたほうがいいです。

映画は原作の忠実な映画化ではなく、どっちかというと「原案:スティーブン・キング」という程度の扱いと思って構わないくらいです。

そこをわきまえた上で、映画の感想を書きたいと思います。

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映画のあらすじ。

まず全体の印象ですが、結構面白いです。ちょっと独創的な設定の、少年向けアクションファンタジーという感じ。

舞台は現代(劇中では「根本原理世界」)のアメリカ、ニューヨークと、謎の異世界(「中間世界」)。主人公は少年ジェイク。ちかごろ悪夢にうなされ、塔、黒衣の男、ガンスリンガーという同じモチーフが何度も現れる。そして夢を支配するのは、世界を支える塔が危険な状態にある、という危機感。まわりの大人たちは、この夢は父親を無くしたジェイクの不安定な心のあらわれだというが、ジェイク自身はこの夢が本当のことだと確信している。

それが本当のことであることは、映画の冒頭で説明される。塔こそが、中間世界や根本原理世界やあらゆる世界を支える中心で、それがいま「黒衣の男」の手によって危険にさらされていると。

ジェイクのことを配する母親は、かれのために問題を抱えた子供のためのキャンプを手配するが、その施設が実は罠で施設の職員を装った化物が自分を捕まえに来ると知ったジェイクは脱走し、夢で見た朽ち果てた建物に逃げ込む。そしてその建物にはなんと、「中間世界」に通じるポータルがあった。ポータルを通じて中間世界に飛び込んだジェイクは、そこでこれまた夢に見た「ガンスリンガー」と出会う…。

なんでジェイクが夢を見たり、追いかけられたりするか。それはジェイクがものすごい「輝き(シャイン)」を持っているから。輝き=超能力みたいなもので、ようするにジェイクはものすごいエネルギーを秘めた子供なんですね。この輝きは、キング好きなら当然知っている「シャイニング」のダニー少年と同じものです。テレパシーとか、なんとなく先のことがわかったりとか、いろいろと便利な超能力です。

そしてこのあとはジェイクと「最後のガンスリンガー」ローランドが一緒に中間世界をあちこち、さらに中間世界とニューヨークを行ったり来たり冒険の旅を繰り広げます。

その過程で、ローランドと黒衣の男の因縁が語られ、本来塔を守る役目を負ったガンスリンガーが自分の役目を忘れ復讐に心を奪われていること、その間に黒衣の男ウォルターが着々と塔を破壊する計画を進めていること、塔の破壊にはジェイクのような強力な力をもつものがもってこいなことが明かされます。

で、ローランドがいきなりニューヨークに来るという異文化コミュニケーションの笑いをはさみながら、かれが本来の自分を取り戻す話と、ジェイクの「輝き」をめぐる話が展開されていきます。

意外と面白い。

こうしてみると意外と面白そうな感じがしますが、意外と面白いです。十把一絡げにされるべきものではなく、個性的で、やや忙しかったりちょっと説明不足なところもある展開ながら物語の構成もまあまあしっかりしていて、出来はまずまず。なんで黒衣の男が塔を壊そうとしてるのかは、はっきり言って意味不明だけど。(よくある、世界支配を企む悪役、くらいでしかない)

この映画の見どころは、イドリス・エルバ演じるローランドの華麗なガンアクションですね。ていうか華麗なリロード。神業のようなリロードから始まって、ニューヨークの銃器店で大量の弾丸を手に入れたローランドの二丁拳銃で撃ちまくりの勇姿。

このへんは映画らしく派手目なアクションシーンとして楽しめます。原作のガンスリンガーについては、銃の扱いはもちろん伝説的にうまいんだけど、どっちかというと侍とか騎士のような雰囲気で寧ろ具体的な技よりもその教えが強調されています。戦闘シーンの多くも、居合い斬りみたいな感じで、敵と遭遇したときには、すでに決着がついている、といった感じ。映画は思い切り派手なアクション映画に振り切って、銃撃戦が楽しめるようになっています。あとローランド、銃を使わないと意外と弱い。

一番笑えたのは、ジェイクが中間世界の村でちょっととろそうな娘さんを助けたところかな。村娘ににっこり微笑みかけられたりしてすっかりデレていたジェイク。黒衣の男の手下が村を襲撃してきたとき、かれは真っ先に娘のところに向かい、彼女を守って一緒に逃げる。しかし襲撃が過ぎると、彼女はジェイクを見向きもせずに彼氏のもとに走っていったのでした。ジェイクのえ?みたいな感じが笑えた。映画的にはまったく狙ってないシーンみたいだけど。

一番ダメなのはラストシーン付近のあまりに急ぎ過ぎな展開かな。全体的に結構急いだ感じはあるけれど、ラストがあっさりしすぎている。最後の最後に至る前に、もうちょっと間というか、説明が欲しかった。

演技。

ローランド役のイドリス・エルバは評判通り、いい。スラッとした長身もかっこいいし、華麗な銃さばきもいい。ちょっと影のある雰囲気もよくできてた。

黒衣の男ウォルターを演じたのはマシュー・マコノヒー。これもまあ安定した悪役演技でした。ただ、ちょっと小首をかしげたりする仕草が続くので、あまり多いとコントっぽくみえる。あとこの役、基本的に弾丸を空中で掴んだり「気」を放出したり、身振り手振りの演技が続くので、ちょっと気を抜くと間抜けに見えるという危険をはらんでいる。それ以外は、人の心をほぼ自由に操れるという特殊能力を使って、息をするように人を殺す危険人物を好演していたと思います。

よかったのはジェイク役のトム・テイラー。子役の例にもれず今はちょっと大人過ぎる風貌になっているようですが、この映画では中性的な幼い表情をみせ、演技がうまいというより、けっこう存在感があります。

ラストは続編に続けられるようになっていました。そういうわけで、話としてはあっさりしてるけど、なにかもっと奥が深そうな世界観をもった映画で、単純なアクションでもなく、完全に別世界のファンタジーでもない独特な映画でした。

以下は原作ファンとしての感想です。ネタバレを含みます。

今回の映画版について、原作者のキングは「原作の続編」であると受け取れる発言をしています。

原作を読んだ人ならもちろん分かる通り、原作でのローランドは、クリアに必須なアイテムを持っていなかったためせっかく最後までたどり着いたのにハッピーエンドをむかえられず、また最初からやり直しという悲惨な目にあってしまうのです。

今回の映画は、クリア必須アイテムを所持した状態で始まる2周目になります。

今回の映画が小説の続編であるということはどういうことか。それは、小説で手に入れられなかったアイテムをすでに手に入れている状態からスタートする、ということです。そのアイテムは「エルドの角笛」といい、ローランドの背負袋にそれらしきものが見えるので間違いないと思う。

これは昔の戦いで失われた一族に伝わる戦の角笛で、これをもっていることがダークタワー攻略の必要条件のひとつなのです。

この「エルドの角笛」、相当に優秀なアイテムのようです。映画版のローランドの旅は随分スムーズにトントン拍子に進んでいる気がしますが、たぶんこれがエルドの角笛の効果なんでしょう。

2周めはかなりのイージーモードのようです。

さらにポータルという都合のよい転送装置のお陰で黒衣の男の本拠地まで一瞬でワープ、あっさり黒衣の男を倒すことにも成功します。黒衣の男を自分の手で倒すこと、これもまたクリアのための必須条件。原作では、ローランドは黒衣の男を自分の手で仕留めることができず、それもまたラストのバッドエンディングの理由になってたと思う。

ローランドの状態もベストに近い。感染症にこそやられるものの、原作で遭遇した右手の指を数本と片方の足の親指を失うという場面を飛ばしてタヒーンたちとの戦闘に入るので、アクションシーンでも両手をフルに使ってのリロード、二丁拳銃、さらに跳躍と、ちょっと強化しすぎな感じもあるくらい強いローランドが楽しめます。

総合的に、映画版は必須アイテム所持しているだけでなく難易度も下げた状態でスタートしているような感じを受けます。あるいはレベルとか引き継いで周回プレイをしている。

ただ、黒衣の男はあくまでも中ボスで、さらにその上にいるのが映画では名前だけ出てきたクリムゾン・キング。さらに最終目標はあくまでも塔の再生なので、黒衣の男を撃破したとは言えまだ道半ば。これから先にまだまだやることがあります。

脚本は、原作をよく読み込んで作っている感じがする。

こういうふうに、原作から一歩踏み込んだ解釈を出来る作りになっていること、さらに続編にも繋げられる作りになっているあたりは、まあまあ意欲的な部分と言えるし、原作をぞんざいに扱うのではなく、敬意を持ち、しっかり研究しているな、という印象を受けました。

 

映画の構成は、原作をよく研究して、第1部、黒衣の男を倒すまでに話を絞り、そこに至るまでをなるべく小説に出てきた要素を利用して構成しようとしたものになっていて、それ自体はよくできている。1作でやる都合上、どうしてもエディーとオデッタは登場させられない。二人が登場するシーンをカットすれば、暴走AI列車あたりまでまるっきりカットだし、ローランドの昔話もいらない。むしろ原作のどの部分を採用するか。

で、第一部の辛気臭い砂漠の町もなくして、いっその事ニューヨークを舞台にする。そうすることで、一気に原作の終盤に登場する中間世界の施設と、ジェイクの登場するニューヨークをつなげてしまう。そうすれば顔だけ獣のインパクトあるタヒーンたちも登場できるし、そいつらとの派手なドンパチが見せられる。95分の上映時間も決して短すぎるというほどではなく、エディーとスザンナをオミットした場合、マイアやローランドの過去など長くなる箇所を削ぎ落として行った場合、95分で事足りた、ということになる。

その上で、原作に登場した要素は極力残し、ソンブラ・コーポレーションとかディキシー・ピッグとかはもちろん出てくるし、妖魔とか、コーラに感激するローランドとか、そういう箇所はきっちり押さえている。ジェイクが連れ去られそうになるのはラドの町のエピソードだし、橋の辺りで敵がばたばたと倒されているところは、第1部の砂漠の町で住民を皆殺しにしたときの様子を彷彿とさせるし。

映画の雰囲気は原作とはだいぶ違います。

しかし、そういうふうに頑張っているはずなのに、映画版の物語としての組み立ては悪くないはずなのに、やっぱり原作とはかけ離れたものになっている。見ている時の印象、全体から受ける雰囲気が原作の「ダーク・タワー」とはまるっきり違っている。

例えば、原作の第1巻では、ローランドは黒衣の男を追うためにジェイクを見殺しにして旅を続ける。そしてタルという町で、そこの人々をほとんど皆殺しにする。2巻では、拳銃使いなのに冒頭で化物に右手の指を食いちぎられてしまう。ずっと後では、ローランドは1977年の「根本原理世界」(=現実世界)にワープして、作者であるスティーブン・キング自身に会いに行く。

こういう意外性とか、暗い予見に満ちた雰囲気が原作にはあるんだけど、そういう雰囲気が映画版からは一切感じられないのですね。なまじ表面的に原作の場面が使われているだけに、その感は強まります。

原作を尊重するあまり、色んな要素をばらしてなるべくもとと同じ形に組み立て直すパズルになっちゃって、もっと根本的な雰囲気とか、大局的な方向性が失われたんだと思う。

今思うと「ロード・オブ・ザ・リング」は奇跡的な成功だったんだな。最初から3部作でつくるという賭けに出て、成功した。演出のスタイルには賛否両論あるけど原作の映画化について一定のスタイルを曲げずに貫徹していた。ちょっとハリウッド風味が強すぎるとは思ったものの、時を経た今見返すとそれほどどぎつくないほどよいケレン味。

「ダークタワー」は忠実な映画化ではなく、続編でもあるという微妙な位置づけ。しかし、それなら思い切って続編であると明記し、原作から一歩進んだ独自の世界を構築すればよかった。「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」という映画は、原作を換骨奪胎してより物語として豊かなものに仕上げていた。「ダークタワー」は続編とはいいながら、実際には原作の色んな場面の切り貼りのようにも感じられて、なにかもどかしい、せせこましい。原作の大部な、途方もない旅、という雰囲気がない。

原作読者としても、映画は映画で評価しています。続編がでるならみたい。

ただ、映画になった時点で原作とは別物です。わたしは今回の映画化は結構面白かったと思っているので、不満はありません。ただちょっと、大作感が欠けているというか、ふつうのアクションファンタジー映画だったな、と。腐れトマトで批評家受けが17%というのはちょっと厳しすぎると思う。

続編については、キングがちらっと示唆した完全リブートになるのか、それとも映画の続編になるのか。映画も続編は作られるようになっているので、興収的には微妙ですがそうなるのかもしれない。もちろん完全リブートになる場合はドラマシリーズということなので、より原作に忠実に、エディーもスザンナも登場する形で映像化されるんでしょう。

どっちにしても、今回の映画化も楽しめたし、続編は楽しみにしています。

さて、すっかりつながりを忘れてしまったところもあるから、「ダーク・タワー」再読してみるか…。

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