「蠅の王」が再映画化らしい。今度の蝿の王は少年じゃなくて少女たちが無人島に?

ウィリアム・ゴールディングの「蠅の王」が今度また映画化されるそうです。登場人物全員女の子?

ウィリアム・ゴールディングの「蠅の王」(蝿の王)がこんど3度目の映画化だそうです。そして、男の子たちが無人島に流される、というお話なのですが、今回は登場人物を全員女の子という設定で映画化されるそう。どうなることやら。

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ウィリアム・ゴールディングと「蠅の王」の紹介。

ゴールディングはノーベル賞作家ですが、日本ではあまり知られていませんね。読んだ人の感想をみても、いまいち反応が薄い。

ゴールディングの「我が町、僕を呼ぶ声」(原題”The Pyramid”)はスティーブン・キングがお気に入りにあげている本で、群像劇の作劇法が「呪われた町」を書く際に参考になった、とか書いていた記憶が・・・。うろおぼえですが。キングの読書趣味は意外と高尚で、有名作家のおすすめ小説10選、みたいな記事でもキングのハイブロウぶりが透けてみえました。

それはともかく、キングおすすめのゴールディング「我が町、僕を呼ぶ声」も日本ではいまいちな反応が多く、さすが”スティーブン・キング絶賛”である、と納得したものですが、そんなゴールディングの作品でだれもが知っているものと言えば、「蠅の王」ですね。

「文学」つながりで名前が挙がる、なんとなく真面目っぽい小説、といったとらえ方をしている未読の人もいると思いますが、読んでも面白いです。

長すぎないし、内容もショッキングな所があるし、政治的な寓意を読み取れそうでもあるし、人の本質を描いたものでもあるし、大枠としてSF要素もあるし、理性と本能の対立、大人と子供の対比などの深い内容を、南の島の冒険小説の装いでくるんだ非常にいい作品だと思います。

ちなみにゴールディングがこれを書いたきっかけは、同じく無人島に流された少年たちが品行方正に規則正しい共同生活を送る脳天気な小説を読んで、こんな絵空事があるか、本当の人間はこんなもんじゃない、と思ったからだそうです。

1990年の映画「蠅の王」。

以前にも2回映画化されています。1963年のはみていませんが、1990年公開のイギリス映画は見ました。

無人島にたどり着いた少年たちは、いつのまにか対立する二つのグループに分かれてしまい、徐々に溝を深めていく。序盤でカメレオンを殺すシーンが印象的で、その後の出来事を暗示しています。

本能のままに生きるグループは、肉を求めて豚狩りをします。やっぱり肉が食べたくなるんでしょうか。

ふとった男の子ピギーに岩が直撃するシーンとか、その前の一番幼い少年が槍で突き殺されるシーンとか、覚えています。パイロットの死骸、豚の丸焼きとか、パイロットが遭難時の目印用に持っていた緑色のケミカルライトみたいなやつとか、所々で雰囲気が変わるので飽きずに見られます。冒頭でさりげなく近未来の戦争中を示しているのも、そのさりげなさがいいな、と思った記憶がある。

割と低予算な雰囲気で派手さはありませんが、景色はきれいだった。原作ほどどろどろした雰囲気はなく、なんか全体的にあっさりしていた感じがしますが、結構好きでした。だいぶ前の映画なのでかなり忘れてしまっているけど。

全員女の子バージョンの「蝿の王」、さっそく批判されている。

その「蠅の王」が今度また映画化され、なんと今回は登場人物全員女の子にするそうです。それ以外は、原作に忠実かつ現代風に映画化すると豪語しているのですが、女の子の時点で蝿の王じゃなくなるのでは、といった批判がすでに出てきているようです。

いまネットでたくさん引用されている批判としては、蝿の王の出来事が男性ならではのもので、女性であればああいったことにはならない、というもの。

もう一つは、全員女性の物語を男の脚本家、男の監督が手がけて大丈夫なのか(=無理じゃないの?)、というもの。

ゴールディング自身、原作でなぜ登場人物が全員男なのかというと、自分は少年で、兄弟で、父ではあるが、女性であったことはない、それが一つの理由だ、といっています。つまり女性のことは知らないし、知らないことはかけないということでしょう。

もう一つの理由は、女性は男性より遥かに優れているから、女子だけの集団があったとしたら、理想的な社会がうまれちゃうだろうから、というもの。これにはリップサービスも混ざっていると思いますが。

全員女性にするからには、それなりに大きな変更が必要になります。原作とまったく同じ台詞をただ女性に言わせただけ、なんてことは通用しませんからね。登場人物全員女性の物語を男の脚本家が自由闊達に紡げるのか、気になるところではあります。

個人的には、どんなふうに仕上がるのか是非みてみたいと思っています。