貴志祐介の「十三番目の人格 ISOLA」の映画化。黒澤優主演。
原作も貴志祐介のなかではそれほどいいできとは言えない。ただ、角川の日本ホラー小説大賞の佳作で実質的なデビュー作なので、そう考えればデビュー作から読みやすさと全体の構成への配慮はされていて、最初から優秀な作家だったとも読める。そして貴志祐介の大好きな心理学ネタがたっぷりはいっている。
映画としては、微妙な出来。
原作に比べると映画は、はっきりいってつまらない。原作と比較して端折られている点が多々ある、というのもあるけど、原作抜きに映画単体として見ても不自然なところや疑問点が多くて、つまらん。多重人格、幽体離脱、エンパス、といったいろんな要素がはいってるんだけど、どれも中途半端で有耶無耶になっちゃってるかんじ。
内容は貴志祐介お得意の心理学的要素にオカルトを突っ込んだ感じ。オカルトというか、多重人格ネタという比較的真面目な心理学ネタに、幽体離脱という超心理学ネタを組み合わせてある。
貴志祐介の大好きなバウムテストも出てきます。被験者に木の絵を描かせて、心理を判断するというなんか胡散臭いテスト。
震災直後の神戸が舞台。この舞台設定が独特で、公開当時は震災の記憶が生々しい頃だったので前置きナシで理解されたと思うけど、いま観ると突然バラックのような風景や、体育館での避難所生活が出てきてどういう状況なのかわからない、ということがあるかもしれない。
木村佳乃が何しに来てるのかよくわからない。
主人公は木村佳乃。神戸にボランティアに来てるんだけど、だぼだぼの防風ズボンみたいなのに大きめの赤いレインパーカーみたいなのを着たものすごくもっさい格好をしている。
彼女は人の心が読めるエンパスという設定。ただこの設定が生きるのは、最初の避難所で頑なに心を閉ざすやっかいものの老人、室田日出男の心を読み、かれの心を解き放つとき。あとは、べつにあってもなくても関係ないような扱いになっている。
あと劇中の台詞でも言われていたと思うんだけど、この人が何しに神戸にきてるのか理由がわからない。何しに来てたんだろう。
原作だと、超能力を生かして被災者の心のケアをするために神戸にきた、という設定になってるのでまあ理解できる。で、そのカウンセリング中にもう一人の主人公である森谷千尋にであい、森谷千尋が多重人格障害を煩っていることを知る、という風につながっていく。映画版だと、たまたま通りで見かけて知りあったような感じだった。
もう一人の主人公は黒澤優。
原作では千尋の多重人格についての描写、多重人格障害についての蘊蓄もかなりの分量が咲かれていて、そういうのが好きな人にはなかなか楽しく読めるんだけど、映画では多重人格周りの扱いは結構ぞんざいで、多重人格少女というタイトルの割には物足りない。
千尋を演じるのは黒澤優。この映画がデビュー作みたい。かわいいんだけど、時折陰険な表情を見せる。黒澤優は当時黒澤明監督の孫ということでけっこう話題になってて、CMとかにもいろいろ出てて露出は多めだったと思うんだけど、SOPHIAのボーカルと結婚して電撃引退しちゃった。
で、千尋の人格の一つにどうも凶暴なやつがいて、それが新たに誕生したイソラという人格。自分を殴った担任の先生や、夜這いをかけてきた叔父や、犬を殺す危険な人格。「雨月物語」の「吉備津の釜」に出てくる、遊び人の夫を恨み殺す磯良さんからとったと思われている。ちなみに、これはミスリーディングで、実際の名前の由来は違うところにある。
磯良が殺人を犯していることを知った木村佳乃は、その犯行を止めるためにうろうろしていて髙野弥生という女性にたどり着く。この女性も、すでに震災で亡くなっていた。
で、いろいろあるんだけど要するになんだったのかというと、幽体離脱実験をしていた髙野弥生さんが実験中に震災で死んでしまい、幽体離脱中だったので多重人格だった千尋に入り込んで13番めの人格になっていた、ということです。
全体的に、動機が不明で雑な印象を受ける。
この映画、登場人物の動機、行動の理由がなく、なんでそうなるのかわからないことが多くて、物語の重要な点についてもそうなのが問題。
問題は、髙野弥生が千尋に入り込む必然性がない、ということ。
幽体離脱、という現象については、それが実験の結果成功したという設定なのでいいんだけど、どうして他人の体に入り込むのか。なぜそれが千尋だったのか。それについての説明がない。
それから、なんで磯良は凶暴な性格なのか。生前はまともだったようだし、千尋という他人の体だから好き勝手している、ということなのか。その辺の理由付けもない。
幽体離脱した髙野弥生=磯良という存在と、多重人格の千尋がまったく無関係になってしまって、ただでさえ描写の薄い千尋がたんなる添え物になってしまっている印象。タイトルは多重人格少女なのに。
原作では、さすがにこの辺りに説得力がないと物語が破綻するだろうから、そのへんは細かく説明してある。
髙野弥生はなんかもうお化けみたいな存在になっていて、かまいたちみたいなので切りつけたりできるほかに、他人の行動をコントロールしたり、物理的に棚を倒したり人を押しのけたりする超能力を発揮している。担任の先生や叔父を殺すときも、焼き鳥の串を頸動脈につきさす、首吊り自殺をさせる、と完全に人の動きをコントロールして殺している。
木村佳乃は、髙野と一緒に幽体離脱の実験をしていた助教授の石黒賢に出会い、木村まで攻撃対象にしだした磯良を止めようとする。
石黒賢と木村佳乃は恋仲になるんだけど、それも不自然。数回会っただけで、石黒賢が車の中で「君がおれを救ってくれた」、とかいいだす。そしてチューする。
最後は、幽体離脱実験用のアイソレーション・タンクに入っている千尋ほったらかしで痴話喧嘩みたいな話になって、千尋から完全に抜け出て幽霊みたいに動き回る髙野が石黒賢と木村佳乃をどっちも殺そうとするんだけど(木村佳乃はシャーペンの芯を目に突き刺されそうになるが、あっさり死んだ脇役たちと違ってなかなか操られない)、石黒賢が俺の体に取り付け!と髙野に呼びかけて幽体離脱用の薬を自ら注射する。
髙野はその男気にほろっと来て、千尋じゃなくて石黒賢に入り込む。そこで石黒賢が窓から飛び降りて、かくして髙野=磯良は石黒賢もろとも消滅するのでした。
石黒が都合よく髙野を取り込んで自殺するのもあまりに手際が良すぎて、どうもこのキャラクター自体が物語を進行させるための道具に成り下がっている。まあ、このへんは原作でももっとも不自然だった点なので原作通りといえばそれまでだけど。
あと石黒賢は震災で足を負傷していて杖をついて歩いてるんだけど、時々演技が雑になって普通に悪いほうの足で走ってるように見える。
ラストは、元気に子犬と戯れる千尋の姿。「事件のあとは一時は200の人格に分裂してたんだけど」とすごいことをサラッと言うカウンセラー。その後、やっと13の人格に統合されたそうです。13番めの人格は、憧子。憧れる子、前向きな感じでいいでしょ?というカウンセラー。
原作ではここでもうひとひねりしてあるんですが、映画ではそれはなし。このあと、神戸ルミナリエをバックに氷室京介の主題歌が流れて終わる。
黒澤優と学校の校庭で出会うとき、風が吹いて黒澤の持っていた漢和辞典が解けてばーっと校庭に撒き散らされる。散らばったページを木村佳乃が拾い集めるんだけど、全部集めるのにそうとう時間かかりそうなくらい広範囲にたくさん散らばっててやり過ぎ感がある。この映画ではやたら突風がフィーチャーされていて、磯良の特殊能力がかまいたちみたいに描写されてるんだけど、幽体離脱して空中を飛び回る磯良=風、みたいな安易な連想なんだろうか。
最後の研究室でのシーンでもやっぱり突風が吹いて書類が散らばったりしてるんだけど、なんか雰囲気が昭和の「サイキック映画」みたいで、この映画は物語の散らかり具合も「帝都物語」に似てるなぁと思った。
神戸大震災の復興祈念映画として。
つまらん映画なんだけど、一番印象に残るのは震災直後の神戸の様子。セットにしては大掛かりだし、冒頭の被災者の避難所になっている体育館みたいなところも良くできている。このシーンが室田日出男、下元史朗の演技もあって一番良くできてたかもしれない。冒頭には阪神淡路大震災被災者の方々の鎮魂と神戸の再生を祈念します、というテロップがでるこの映画は、ホラー映画ではなくむしろ「阪神淡路大震災記念映画」として記憶されるような気がする。