映画をみたので、原作も読んでみた。小野不由美の「残穢」。
この小説で描かれる怪現象の理由を、語り手は「延喜式」に出てくる触穢の概念で説明しようとしている。ある穢れが、徐々に薄まりながら周囲に広がっていく。いつかは消えるものの、仮に極端に力の強い穢れがあったとしたら、それは相当広範囲に、長い間影響を及ぼすのでは…。
この本では、マンションの和室から畳を擦るような音がする、という怪現象から始まって、その由来をどんどん掘り下げて調べていき最終的には戦前の九州の炭鉱にまで行き着いてしまう。その過程が、歴史読み物みたいで面白いのは映画も同じ。原作を読んで、映画がかなり原作に忠実だったことがわかりました。ただ、原作ではマンションとその隣の宅地なんかがたくさん出てきて、若干人物を追うのに苦労した。なんだか読んでいて随分疲れてしまった。
回避不能な「穢れ」の怖さ
それで、この本の怖さの源泉だけど、表面的には「大島てる」の事故物件を見てる怖さで、本質的には、それは「穢れ」が本質的に回避不能なものである、という部分にあるんじゃないかと思う。知っていても知らなくても、曰く付きの何かに接すると、接したものに「穢れ」が移ってしまう。それがどういう形で出るのか、身体的な不調なのか、それとも子どもの笑い声なのか、畳を擦る音なのか、それはわからないが謎の現象が現れる。
この本では九州の炭鉱まで原因を突き止めて、なんとなく胸のつかえがおりた感じがあるけれど、登場人物の久保さんは怪現象がある部屋から引っ越したのにもかかわらず、やがて引越し先でも同じ現象が発生したし、語り手は原因不明の首の腫瘍などで体調不良。穢れが空間を超えてくるっていうのも怖い。
そして、どこの家だって戦前まで遡ればかつての住人や住居で何かが起きていてもおかしくないし、その凶事の当事者が引っ越しなどで移動していることを考えると、全国どこでも「穢れ」があってもおかしくない。
一見平和に見える家でも、幸せそうな家庭でも、すぐそばには恐ろしい穢れた場所/物があるのかもしれない。そしてちょっとした体調不良、不幸な事故に思えるものも、実はその穢れのせいかもしれない。
そういう怖さがあります。
相手を選ばず、治める手段もない
で、その穢れから逃れるには原因となるものから離れてしまう以外に手がない。これ、穢れの存在を知らない場合、なかなか回避が難しいことになると思います。
さらに、人によっては穢れに触れてもなんともない人がいる。
つまり、なんで怪現象が起きるのかもよくわからないし、どうやれば止むのかもよくわからない。この辺もやっかいな点です。
「リング」の呪いのテープみたいに、明確な意図をもって攻撃してくるやつじゃないし、供養をすれば止む類のものでもない。触穢の概念通りだとすれば、凶事に伴って自然発生的に生まれてしまい、だんだん薄れていくのを待つしかない。しかし、途中で凶事に凶事が重なって穢れがパワーアップしたり、最初から大規模な事故なんかで強力な穢れになっていたら、もうどうしようもない。
最後も、語り手や久保さんには呪いが降り掛かってはいないものの、相変わらず怪現象と思われる出来事や、人死にが続いたまま終わる。その辺も怖い。そうなる可能性がそこらじゅうにあるのだから、考え方によってはリングよりもずっと怖い。
実話としての怖さ
あと、この小説、実話の体を崩していないのが偉い。語り手は著者自身だし、実在の作家が二人も出てくるし、そもそも実在の雑誌で語り手が連載していた小説が発端だし。そして、この本で最終的にたどり着くのは、福澤徹三に紹介される九州の怪談で、これは聞いただけでも祟られるものなのである。実際、それを調べた語り手は首の腫瘍とか腰痛とかでものすごく悪い状態になっている。つまり、この小説を読んだということは「聞いただけで祟られる」話に間接的に触れてしまった、ということにほかならない。
ウブな読者や信じやすい人にとっては、穢れは遍在していると説くこの本はすごく怖いものに違いないでしょう。一度、自分の住んでいる家、あるいはマンションの立地を思い浮かべて、以前どんな場所だったかを想像してみてはいかがでしょうか。近所でなにか事件が起きたことなど、なかったでしょうか。
個人的な感想。
ただ、個人的には怖くありませんでした。なぜなら、わたしは幽霊とか祟りとか信じていないからです。暗闇は怖いけど、幽霊がいるからじゃなくて精神がおかしくなるから。幽霊よりも刃物を持ったキチガイが怖い。なので、幽霊話にしてもどちらかというと明確な悪意を持って積極的に攻めてこられたほうが怖い。
ただ、この小説の怖さは体感はできないけど理解はできる。怪現象とかじゃなくても、体調不良とかちょっとしたことでひょっとしたら…なんて思いがちな人にとっては、病を悪化させる毒物になるでしょう。
映画との比較。
あと、映画はなかなかいい出来だったんだなと再確認した。淡々とした展開は原作どおりだけど、ゴミ屋敷とか子どもの声が聴こえるおばさんとか、顔の歪む美人画とか、ビジュアルでなかなか頑張っていたと思う。そして唯一原作と大きく違うラスト付近については、淡々と終わる原作にはないシーンを入れることで、インパクトのある場面ができたのではないでしょうか。なんか呪いの方向性が一気に変わっちゃった感じはするけど、まあ映画の場合はこういう必要なのではないか。個人的にはいいと思います。