麻耶雄嵩「翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件」の感想。現実離れした推理合戦、推理が現実を規定するようで、面白い。

これはとても面白かった。

問題作とか、人によっては怒るとか言われていたけどなぜなのかわからない。普通に面白かったんですけど…

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20歳でこれを書いたのがすごい。

何より驚いたのは、この本がまだ二十歳そこそこの著者によって書かれたということ。いわゆる本格推理小説ってこういうものでしょ?こういうのもありでしょ?という大胆なお話と、それを許す全体の雰囲気。ちょっと推理小説の枠からはみ出していくラストのオチも、そのはみ出し方まで含めて楽しんで作られているのが感じられる。

ほとんど余裕すら感じられ王者の風格すら感じられるこの小説が、デビュー作でしかも21歳のときとは、すごい。京大生って頭いいんだなーとか頭悪い感想が浮かんできます。

舞台の虚構的雰囲気と理屈優先の推理のバランスが最高。

お話はいわゆる本格(新本格もの?)に分類されるらしい。

舞台は京都の山奥にある蒼鴉城という洋館で、甲冑を着せられた首無し死体が見つかるという異常な事件が発生する。しかもそれが館の住人に呼ばれた名探偵が館を訪問している最中に起きるんだからなおおかしい。その後も似たような首を切られた異様な死体がぼろぼろでてくる。

名探偵、それもシャーロック・ホームズばりのペダンティックな天才探偵という設定、謎めいた人里離れた洋館、異常な死体がでてくる連続殺人事件。

どう考えても現実にはありえない物語なわけです。それが本格小説の一つの魅力であり欠点、というか人によっては受け入れられない点でもあるわけですが、この小説は、そういう現実から乖離した推理小説ならではの、それでしか表現できない独特な雰囲気を構築していると思います。

そもそも小説冒頭の一文が

翌日、私達は今泉家へと向かった。

と、いきなり翌日ってなに?と読者を不思議の世界にいざなうようなものになっている。これはなかなかに計算された、よくできた冒頭なんじゃないかと思う。

その後も、とくに小説前半ではわざとらしいほどのペダンティックな会話が繰り広げられるとともに、主人公である名探偵の特異な天才ぶりがこれみよがしに披露されるんだけど、かれの探偵としての性質も、デュパンやホームズとはまた別の、ほとんど預言者めいた直感的な洞察力をもとにしたもので、普通の推理小説に出てきたら破綻するような推理力なんだけどこの小説の中ではありえない事件を解決する立場の人物として適切に感じる。

舞台の虚構性。

この小説を現実世界におけるリアリティのある物語として考えるとだいぶ勘違いしてしまう。一応京都の山奥という現実に存在する場所が舞台とはなっているが、冒頭の一文からほのめかされるように、この物語は現場に向かう途中でフィクションの世界に突入してしまう。その後も通常の殺人事件にまつわるプロトコルが成立しない虚構の世界ならではの展開が待ち受けている。

首なし死体や密室というのは、まあよくある設定かもしれないけれど、それ以外の部分でも対話や、出会って数日の人に対する唐突なプロポーズや(しかも受け入れられる)、様々な箇所で見られるどこかずれた描写が独特な雰囲気を構築していく。

そして、こうしてたくみに構築された蒼鴉城の雰囲気があるからこそ、唐突に登場する第二の名探偵や、二人の名探偵の推理合戦が、納得できるものになっているような気がします。逆に言うと、普通の推理小説では説得力を持たないであろう、かなり大胆な、むちゃくちゃな推理になっている。

実現可能性ではなく論理的完成度を優先する推理。

この推理小説での殺人事件の捜査では、理屈優先でほんとにそれが可能だったのかどうかがほとんど無視されているような気がする。というより、理屈すら二の次で、いかにエレガントな説明になっているかが評価される、というか。

推理合戦なので、名探偵の考える事件の真相が何度か提示されるんだけど、はっきりいってどれも正しいといえば正しい。一番最初の推理で納得してしまえば、それはそれでいいように思えるし、その推理が間違っているかどうか検証できないような気がする(気がするだけ)。

警察も捜査に参加しているにも関わらず個々の殺人の具体的な検証はあまり行われず、主に名探偵によって複数行われた殺人の全体像が推理される。他の探偵によりそれが否定され、その推理を更に上回る、より納得度の高い推理が改めて提示される。

推理によって示される全体像は、理屈としては成り立っているんだけど現実的にそれが実現可能なの?と言われるとかなり怪しい。そしてその推理の矛盾を解消するさらに高次の推理に至るためには常人離れした洞察力が必要となる。

段階が進むにつれて推理の矛盾点は減っていくわけだけど、その推理が成立する条件というのがあまりにも厳しい。見間違いとか、特定の場所でだれかが特定の行動をする、というのが成立条件になっているので、それを最初から仕組んでおくというのは現実的にはほとんど不可能だと思う。なので普通の推理小説でやったら、こんなむちゃな謎解きはありえない、と一蹴されるかもしれない。

しかし、この小説はそのような推理合戦を臆面もなく用意している。推理合戦に至るまでにそういうのを納得させる雰囲気が十分醸成されているので、違和感なく読みすすめることができる。一部、ちょっとこれはまじでありえないんじゃないの?という箇所もあり、登場人物たちがそこに納得して話を勧めてしまうところには危うさも感じられるものの、危うさ以上にそういうのを納得させる雰囲気が醸成されている。この、思弁的推理そのものだけでなくそれを許すような雰囲気が、この本格推理小説のとても良くできた点だと思います。

「エピローグ」に至って完成する、優れた小説。

さらに推理合戦を終えたその先にある驚愕の「エピローグ」。このエピローグがまた、結末として小説の完成度を高める非常に優れたものとなっている。

エピローグの表面的な部分をみると、バカバカしいにもほどがある、と思われないでもない部分だし、ここに至って初めて開示される情報もある。でも、それはエピローグで披露される推理自体には影響しないし、前述のもっともありえない箇所をきちんと否定してくれる。突拍子もない真相も、後付けというわけではなく、最初からきちんと考えられたものであって、エピローグを読むと、序盤から配置されていた様々なものが一応それなりの理屈を持って用意されていたんだということがわかって、つくづくよく考えられて書かれてるなあと感心してしまう。

「メルカトル鮎最後の事件」という副題と、この小説の来歴。

ところで副題に「メルカトル鮎最後の事件」ってついているのは、いったいどういうことなんだろう。

作者の中では、最初からメルカトル鮎というキャラクターがシリーズものや他の連作の主人公として想定されている、ということなんだろうか。だとしたら、デビュー作でいきなりその人物の最後の事件を持ってくるというちょっとしたいたずらも、副題のインパクトも、冒頭の一文と同じような効果を狙ったものなのかな、と思います。

メルカトルの登場も、その天才ぶりも、その退場も、あまりにも唐突で疾風のように去っていったかれは一体何だったのかと思わずにはいられない。ただ、かれの登場でこの推理小説にもともとあった、よくある血縁要素がさらに濃いものになる、という役目もあったりして、ミステリにある様々な要素をまんべんなく取り込むための材料にもなっています。

他のメルカトル鮎の出てくる小説を先に読んでいたので、かれの役割としてはちょっと役不足な感じがしないでもないですが、まあいいでしょう。敗北してショックを受ける姿は新鮮でした。

それから、デビュー作にしてあまりに完成度が高い点。

これ解説を読んだところ、もともとは京大推理小説研究会の機関誌に発表された「メサイア」という中編に、大幅に加筆修正して書かれたものだという。であれば、デビュー作にしてここまで粗のない仕上がりになっているのもなんとなく納得できる。

機関誌に発表された「メサイア」という中編は一般読者ではなく、ちょっとした推理小説ファンでもなく、研究会に属するほんとの推理小説マニアを読者層に想定して書かれている。この本の連続する死体や密室や、唐突な第二の名探偵といった趣向はおそらくまず内輪向けのネタとして楽しんで書かれたのではないか。そのへんが、この本に感じられる余裕や、高踏的な雰囲気や、(リライトによる)全体の洗練につながっているのかな、と思いました。

まとめ。

いろいろ話題になっていることだけは知っていた本でしたが、たしかに話題になるだけのことはある本だと思いました。おすすめです。

ちなみにこれはいろんな推理小説が出たあとに立脚して書かれた本ですが、他の推理小説を知っていないとと楽しめないのでしょうか。

たぶん、そういうことはないと思います。本格ミステリの古典ともいえるエラリー・クイーンとか、私はむかし数冊読んだくらいで内容もほとんど覚えていません。他の推理小説も人並みに読んだくらいですが、それでもこの小説は十分楽しめました。

推理小説ファンだけでなく、ほのめかしばかりのダイアログと奇妙な人々が奇妙な振る舞いをする不思議小説としても楽しめるのではないかと思います。

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