小松英雄「徒然草抜書 表現解析の方法」の感想。文献学的手法で今までの杜撰な解釈を一新する可能性。

学校の古文の教科書には必ず出てきて、だれもが冒頭くらいは知っている「徒然草」。

それを文献学的アプローチから解析してみようというのが小松英雄「徒然草抜書」。これは過去に出版された単行本を下敷きに、そうとう加筆修正して文庫化したものだそうです。講談社学術文庫で出ています。

この本では、解釈について意見が別れている箇所だけでなく、冒頭のようにとくに疑問もなく受け入れられてきた箇所も含め、文献学という手法を武器にこれまでの一般的な読みを検証し、独自の解釈を試みています。

内容としては当然のことながら徒然草のいろいろな箇所を取り上げてそれを解読していく、という格好になっているのですが、これまで当たり前のように受け入れられてきた解釈とずれがでてくるところがかなりあります。

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「つれづれなるままにひくらしすずりにむかいて~」今までの解釈であってる?

そもそも、最も有名であろう「つれづれなるままに~」で始まる序文。そこに続く「ひくらし」とはどういう意味か。またその一文の最後「ものぐるおしけれ」とはどういう意味か。さらに、その次につづく「いでやこの世にむまれいでは」という文、これは本当に切れているのか、それとも前文とつながっているのか。

そうした検討の過程で、過去の参考書や注釈書にある解釈には、かなりいい加減だったりあやしかったりするものがたくさんあることがわかってくる。注釈書には当たり前のように「現代語訳」がつき、徒然草の各章が解説されていますが、その多くが、とくに丹念な検討なしに、過去の研究結果、解読結果をただ模倣しているに過ぎないであろうことがそれとなくわかります。

過去の読みと矛盾する読解になるということは、どちらかが誤っている可能性があるわけで、著者は正しいであろう解釈を求めて一文ずつ丁寧に検討していきます。解釈に至るまでのアプローチは丹念で、文章を構成するひとつひとつの言葉を取り上げ、同時代での他の用例を探し、検証し、場合によってはその後の意味内容の歴史的な変遷にも目を向け、「徒然草」ではこういう意味であったあろう、と慎重に推定していく。

この過程を読んでいくのは単純に面白い。冒頭のはしがきで推理小説のようだ、という評価を受け、著者も確かに様々な手がかりを元に真実に近づいていく過程は推理小説的である、と納得しています。

ただし、推理小説と違ってすでに失われた時代の古典の解釈に正解はない、という事実はもちろん忘れてはいません。この本の内容は立派な学術的な内容だと思うけど、古典に縁のない一般読者でも読めるように書かれて言います。そういう意味でもおすすめできる、面白い本です。

正解がないということで、この本に、洋書の誤訳指摘本みたいな、例えば今までの○○だと思われていた解釈は間違いで、実は△△だったのだ、というような断定的な間違い探しの喜びを求めるのは向きません。相当確実なレベルでこの本の解釈が正しいよね、と思える箇所はいくつかありますが、著者自身は断定を避けているし、すでに失われた時代の文章なので確実な検証が不可能ということもあります。

結論ではなく、それを導こうとする過程に重点が置かれています。

そもそもがこの本の主題は文献学的手法による読解の実践方法を紹介することにあって、過去の説への反論、自説の主張ではありません。結果的に自ずと新しい説がでてくるわけですが、主となるのはそれに至る解析の方法です。副題も「表現解析の方法」だし。

そのアプローチについては、読めば自然とわかるようになっていると思います。

しかしさらに大切だと思うのは、この本が要するに一般的な、常識的な解釈を尊重しているということ。その意味で、文献学というものが何かさっぱりわからなくても問題なく読むことができます。

要するに、ひとつの文学作品を丁寧に読みこなし、まっとうな解釈を引き出していくという姿勢が根本にあります。これは日本の古典に限らず、現代文でも、海外の本の翻訳でも共通する態度だと思います。

それはあとがきにあたる「結語」の部分で明確に示されています。他の人が書いた新書の中で、英語の”orange cat”とは果たしてどういう意味(色)なのか、と検討する箇所について、その検討方法の不備をあげつらう部分。ちなみに、その新書とは「日本語と外国語」で、おそらくは鈴木孝夫の岩波新書本だと思います。鈴木孝夫といえば言語学の大家ですが、相手の肩書や地位とその研究結果をしっかり切り離してかんがえているのもこの著者の特徴です。

もっとも、この鈴木孝夫の視点が間違いであるかどうかはなんとも言えません。英語圏での一般通念として”orange cat”に、小松英雄が考えるようなふてぶてしい偉そうな猫、というイメージがあるのかどうか、よくわかりません。

残念なのはこの本の検証結果が正しいのかどうか、素人には確かめられないことです。そもそも正しさを求めるものではないというのは百も承知で、やっぱり知りたい。タイムマシンでもないと無理かもしれませんが。

まとめ

著者はこの本をきっかけに読み方や解釈手法に興味を持ってほしいということなので、その目的は十分に果たせていると思う。さらに、古典文学は文字数も比較的少ないし、漢字はともかく仮名文字はある程度読めるようになると思うから、その後は自分で読んでみる楽しみもある。

この著者の本は他にも古典の解釈についての本をいくつか出していますが、どれもとてもおもしろい。とくに、「古典再入門 『土左日記』を入口にして」「みそひと文字の抒情詩」は衝撃的。

徒然草抜書は1990年の出版なので、だいぶ時間がたっています。けっこうインパクトのある内容だと思うのですが、その後、国文学の領域で何かしらの影響はあったんでしょうか。土佐日記の解釈については、笠間書院のレポートだったかで反論が挙げられていたのを覚えていますが。

著者の研究結果が古典研究の中でどういった影響を持っているのかわかりませんが、いわゆるトンデモ本とは真逆のまっとうな研究だと思うし、一般向けの本は研究者ではない人が読んでも面白いものばかり。おすすめです。「土左日記を読みなおす:屈折した表現の理解のために」というのが2018年に出版されていて、それはまだ読んでいないので今度読んでみます。

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