映画「ゴーン・ガール」の感想。佐藤正午「ジャンプ」。

デヴィッド・フィンチャー。「セブン」は思っていたのと違って、肩すかしを食らったような感じで気にいらなかったし、「ゲーム」も普通にみたら面白かったかも知れないが、煽りすぎの宣伝に乗せられて見たのが失敗だった。しかしそれ以外の映画は概ね面白いと思うので、やっぱりすごい監督かもしれない。たぶん「ソーシャル・ネットワーク」の成功でNetflixの「ハウス・オブ・カード」の製作総指揮をやっているんだろうけど、これも途中まで見たけどおもしろい。

「ゴーン・ガール」は宣伝とかでも情報を隠していたので、アカデミー賞候補とかすごく面白いという噂だけが聞えてきてどんな内容なのか興味をそそられた。

なんの問題もない夫婦のはずなのに、ある日突然妻が失踪する。調査をするうちにさまざまなトラブルで夫婦がもめていたことや旦那の浮気が発覚し、ついに夫は妻殺害の容疑者にされてしまう。

というはじまりで、夫がやったのか、やってないのかだけを焦点にしても一本の映画にできそう話なんですが、「ゴーン・ガール」の場合ここまではプロローグにすぎず、この後さらに物語が二転三転して見事な着地点に到達します。先入観なしでみるとストーリーの転がりぶりを堪能できると思います。

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二転三転するストーリーが面白い。

話題作なので見た人も多いだろうけれど、あえてストーリーはばらしませんが、当初考えていたジャンルから逸脱してミステリーなのかサスペンスなのかコメディなのかよく分からない不思議な映画になっていると思いました。トレント・レズナーの目立たない音楽もいい感じで雰囲気をだしている。

主役のベン・アフレックはさんざんイモだとか言われてましたが、監督業でも成功しはじめたあたりから演技ももっさりではなく重厚といった評価になり、活躍しているようです。もうひとり、ロザムンド・パイク。この人、顔つきたたずまいがどうもコメディっぽくて、「ジャック・リーチャー」とかではシリアスな場面でもつい笑っちゃいそうになることがあったのですが、この映画ではそういうよくわからなさも含めて成功しています。ひょっとして「ジャック・リーチャー」もあえて重苦しくなるのを避けるためにそういう演技をしたんだろうか。

佐藤正午の「ジャンプ」も彼女が失踪する話だった。

それはともかく、「ゴーン・ガール」を見てふと思い出したのは、佐藤正午の「ジャンプ」という小説。これも、ある日突然彼女が失踪する、という同じ出だしで始まる物語です。しかし、その後の展開は全く違う。

その違いはストーリーだけでなく、対象のとらえ方、距離感の違いにあるような気がする。物語の題材、登場人物との距離感のとりかたに。

「ジャンプ」で題材にされているのは、主人公の男が彼女を捜そうとし、失踪の理由を知ろうとする過程で描かれる、相手のわからなさ、男のダメさ加減だと思う。この本の主人公は平たく言ってダメ男だと思うんだけど、馬鹿さ加減が赤裸々に描かれているような気がした。

たしか主人公の一人称視点だったんじゃないかなあ。この私小説的とも言える自身の身辺にねちねち拘る日本的な書き方を利用して、最後にその立場をひっくり返す。これはこれで上手くできていたとは思うし、実際本の評判もよかったようだけれど、個人的には消えた彼女との関係性にだらだらと拘泥する、気色悪い話だなあと思った覚えがある。

「ゴーン・ガール」は対照的に、何人かのキャラクターを碁盤に配して、その関係性がどう変化していくか、どのように変化したら面白いか考えながら客観的に組み立てている感じがする。こうなったら面白い、さらに次はこう、と全体を俯瞰して物語を構成している感じ。

物語の盛り上げ方も、佐藤正午はあくまでも一発ネタ的な物語をさらっと書いていたのに対して「ゴーン・ガール」は連載少年漫画みたいによってたかって面白くしようとつめこんでいる感じ。

同じ発端のストーリーでもストーリーが違うのは当たり前なんだけど、「ゴーン・ガール」と「ジャンプ」の違いには日本と欧米の違いが如実に表れているような気がして面白いなっと思いました。

もちろんこの比較は偶然です。たまたま同じストーリーだった話を比べたらいわゆる「日米の違い」を感じさせるようなものだった、というだけで、たんなる偶然ですが。日本の作品同士、アメリカの作品同士でもこうした違いはいくらでも成り立つでしょう。

お勉強で習ったような、アジア人は物事を主観的に見、欧米人は物事を客観的に見る、といった話は神話に過ぎないのか、それとも実際にそういう違いがあるのか、どうなんでしょうか。

  • ゴーン・ガール
  • (GONE GIRL)
  • 監督: デヴィッド・フィンチャー
  • 2014年
  • 上映時間 149分