福岡で起きた、教師による児童のいじめ。少年はひどいいじめを受け、あげくに死ねと言われ自殺未遂までし、PTSDを発症して閉鎖病棟に入院。マスコミでも広く報道され、「殺人教師」としてその行状が紹介された教師は停職6ヶ月の処分を受ける。そしていじめをうけた児童の両親が福岡市と教師を相手取って民事訴訟を起こす。
という話なんですが。タイトルでわかるように、実は教師はいじめなどしておらず、冤罪でした、という話です。それにしてもいじめの内容がすごい。
殺人教師による児童のいじめ?
児童が受けたとする教師による「5つの刑」の内容は、
アンパンマン=両頬を指でつかんで強く引っ張る。あるいは両拳を両頬に思いきり押し付け、ぐりぐりと力を込める。
ミッキーマウス=両耳をつかみ、強く引っ張り、体を持ち上げるようにする。
ピノキオ=鼻をつまんで鼻血が出るほど強い力で振り回す。
アイアンクロー=手のひらで顔面を覆い、指先に力を入れて顔面を圧迫し、そのまま突き飛ばす。
グリグリ=両拳でこめかみを強く押さえ、さらにぐりぐり力を込める。
というもので、これが相当な強度で、毎日行われたと主張するからすごい。引用すると、
…教師は男児の鼻を強くつまんでその体を力一杯振り回した。そのため男児は鼻から大量の出血をし、洋服を血だらけにして帰宅した。ミッキーマウスを選んだ時は、男児の耳をつかんで乱暴に上に引っ張り上げたため、両耳が無残に千切れて化膿するほどだった。…
これらをニヤニヤしながら実行し、男児にアメリカ人の血が入っていることを理由に「血が穢れている」と罵り差別したり、飛び降りて今日自殺しろとそそのかすなど、たしかにこれは「殺人教師」と呼ばれてもおかしくありません。
じつは全てがでっちあげでした。
でも、タイトルにあるとおり、これら全てが「でっちあげ」であり、事実無根の出来事なのです。教師は事実無根のいじめを理由に停職6ヶ月の処分を受け、裁判で訴えられることに。
いったい何がどうしてそうなってしまったのか。
そもそもの原因としては、モンスターペアレンツの常軌を逸した抗議及び要求、学校及び行政側の不適切な対応、の2つがあります。本書では著者が教師、学校、生徒たちを中心に取材し、事件の背景を明らかにしてくれます。
教師がありもしない罪で停職になり裁判にまでかけられたそもそもの理由は、児童の親が学校側に、担任が息子を差別している、と訴えたから。
担任である川上(仮名)が家庭訪問でいじめられたとされる児童、浅川祐二(仮名)の母和子(仮名)の家を訪れたことが発端になります。
事件の背景1、モンスターペアレンツ
話はほぼ一方的に和子がしゃべり、川上は主に聞き手に回っていたようです。そのなかで、和子にはアメリカ人の血が流れていて、帰国子女であるという話になり、そこで川上が息子の祐二(仮名)はハーフ的な顔立ちで目鼻立ちがくっきりしている、といったそうです。これはほとんどお世辞で言ったもので、差別的な意図はまったくない。その他にも和子の英語教育の話やらPTA批判やら祐二をインターナショナルスクールに入れたいというような話に2時間以上もつきあわされる。
で、その三週間後、浅川はなぜか川上が祐二を差別し体罰を与えているとして学校に訴える。
浅川はクレーマーで、モンスターペアレンツなのですが、ちょっとそこから逸脱する部分のある人のようです。わたしがイメージしているモンスターペアレンツというと、些細な問題をさもおおごとのように言い立てて、相手に無理な謝罪や賠償をふっかけるというイメージがあります。
これは親としてのモンペに限らず、店員に土下座を強要する客とか、まあ昔からいるタイプの人たちです。ただ、普通はなにかミスがあったり、いちゃもんをつけられる側に些細なきっかけがあることが多いと思う。
この事件がおかしいのは、教師である川上の側にほとんどそういうミスがみられないのに、浅川が学校に抗議している点。それも、実際にあったわけでもない、ほとんどでたらめな抗議をしている。
川上にも、祐二の頬を手の甲で軽く叩いた、という行為はあった。これは祐二が結構な悪ガキで、級友をなんども叩くのでそれをたしなめるためのもの。クラスの生徒ほとんどがこれを体罰とは思っていないし、祐二がそのように指導されるのは当然と思っていた。なお祐二はこの指導もまったく意に介さず、その後も級友への乱暴を続けている。
些細なものであっても、これを体罰といえば言える。いかに些細なものでも、いまは体罰は許されないことになっているから、この行為を体罰として抗議するというのはまだわかる。
しかし浅川が訴えたアメリカ人の血による差別はそもそもなかったものだし、それに続く体罰の訴えも、なかったものをあるとして訴えているとしか思えないものだった。
さらにいうと浅川が帰国子女であるというのが実は嘘だったり、そもそもアメリカ人の血など流れていなかったり…。この教師によるいじめ事件は、浅川という保護者の親の一方的に主張で作り上げられていることがわかってくる。
読み進めて感じるのは児童の親である浅川の異常性。実際の体罰を誇張するのではなく、ありもしない体罰をでっち上げ、それによる児童の外傷を言い張る。
母親だけでなく父親も一緒になって体罰と差別を訴えていて、子供は親に言われたとおりに振る舞っているみたい。
あまりに自信たっぷりに事実と断言するためか周りも疑いを抱かず、浅川側の言い分が事実として確立されていく。その結果、虐待があったことを鼻から疑わない医師によって児童はPTSDと診断され、浅川が市と教師を訴えた裁判では500人を超える弁護団が結成される。
この事件がおきたもうひとつの原因は、学校側の事なかれ主義。これは学校と親との関係の難しさも関わってくると思います。
事件の背景2、学校側の弱気な対応。
モンスタークレーマーの話題はあちこちで見聞きするようになりました。最近ようやくお客様は神様ではないという認識が広がりつつあるようで、法外な客の要求を拒否することもできるようになっているみたい。
クレーマーにも二種類あって、ひとつはついカッとなって激しい言動にでてしまうタイプ。もうひとつは最初から相手の譲歩を引き出すことが目的の恐喝的クレーマー。
この事件の場合、浅川の行動はどうも後者のタイプに見えます。ただ、最初の訴えの時点では謝罪を求めているだけなので、はじめからなにか目的があってクレームを付けていたのかどうかはわかりません。
両親の態度は徐々に脅迫的度合いを増していくわけですが、その理由が学校側の対応にあることは明らかです。
学校は親とのトラブルを避けることを第一優先するため、とにかく謝って済むならそれに越したことはないと、ひたすら非を認め、浅川に謝罪するという方針で対応しました。両親との面会前に当事者の川上先生と学校側で聞き取り調査はありましたが、それも浅川側の体罰や差別発言の訴えを全て事実とする前提のもとに行われ、そもそも体罰があったのかどうかも調査されていません。
校長がその学校に赴任してきたばかりだったというのも一因かもしれない。
川上もなるべくなら親とのトラブルを避けたいので、やってもいない体罰を認めるのは不本意ながら、浅川に謝罪することで同意した。
しかしクレーマーに対するこの対応は、もっともしてはいけない手。結局、浅川はさらに激しい要求を突きつけ、学校側はさらにひどい体罰があったことを認めるようになり、教師の停職、民事訴訟という結果を招くことになります。
裁判の中でも川上先生の体罰が一部あった、と認定されてしまいますが、その一番の根拠が教育委員会の裁定で川上先生が停職処分を受けていることではないか、とされています。そもそも、この停職処分自体、学校側が体罰の有無を精査していればありえなかったものであることは間違いありません。
学校側と親との不平等な関係性が、異常な親の存在で露骨に現れてしまったのがこの事件なのではないかとも思えます。
マスコミの問題。
そのほかにこの本で書かれているのは、マスコミの無責任ぶり。
マスコミは事実を弱いものの立場に立ち、事実を究明するのが使命だとすると、この出来事に関してはそのどちらもできていない。
最初にこの件を知り報道をした人も、そのあとから聞きつけてきた人も、すでにある情報=浅川の流した嘘の訴え鵜呑みにし、事実を検証するという作業を怠りました。この本の著者は、学校の生徒や保護者に聞き込みをしただけでこの体罰事件について疑問を抱いています。それも、事件が起きてからしばらくたってのこと。であれば、事件間もない頃に取材した記者が当たり前の聞き込みをしていたのなら、浅川の言い分に疑問を抱いていておかしくありません。
そうはならず、さらに地方のニュースから全国ニュースに拡大しても同じように一方的な発言だけが認められたというのは、マスコミの危険な部分をよく表していると思います。つまり、基本的にマスコミは既出の情報の正確性を検証することはないということです。なので、なおさら初動調査が重要になるはずですが、記者の頭に先入観があるとそれも蔑ろにされてしまうようです。もちろん、二番手以降のマスコミが検証せずに後追いするというのも本来ありえない態度であることはいうまでもありません。
著者は当初浅川の言い分を信じ込みとくに検証もせずに「殺人教師」と決めつけた記者たちにも何人か取材している。当初の報道の誤りに対しては、うろたえるもの、開き直るものと反応は様々ですが、地方の出来事を全国紙で追い続けることの難しさもわかります。
両親の人間性については不明。
それから個人的にもっとも興味がわいたのは、この浅川両親がいったいどんな人間なのか、という点。モンスターペアレンツであることは間違いなさそうで、さらにちょっとしたサイコパスなのではないか、ということを伺わせる描写になっている、気がする。
文章の端々に、なんかかなりやばい人たちなんじゃない?っていうのが感じられるんです。そこがもどかしい。ひょっとすると貴志祐介の「黒い家」みたいなサイコパスなのではないか、という妄想も。
まあそこまでのレベルではなくても、虚言癖もありそうだしなかなか問題がありそうな人に思えます。なお著者は裁判中に浅川家にもインタビューしていますが、弁護士に聞いてくれといわれ取り合ってもらえません。
賠償目的で計算ずくでこの訴えを起こしたのか、それとも自分でもなにが本当でなにが嘘かわからなくなってしまう、ひどい虚言癖の人なのか。そのあたりはよくわかりません。
この本の主役はあくまでも教師で、その人にふりかかった冤罪事件とそれに対する周囲の反応がメインなので、両親についてはそれほど踏み込んで描かれてはいません。
まとめ。おすすめです。
この文庫本では一審の判決だけでなく控訴審の結果、さらに現在の版ではその後の教師の戦いまでフォローされています。帯は煽りすぎで、衝撃の結末とか驚愕の真相なんてものはないと思うけど(濡れ衣で冤罪だった、とすでに同じ帯に書かれている)、でも面白くためになる本でした。