キングの「ダーク・ハーフ」で言及される幻の作家、シェーン・スティーヴンス。
スティーブン・キングの「ダーク・ハーフ」が再映画化されるらしい。
それはともかくダーク・ハーフといえば、前書きで言及されているシェーン・スティーヴンスという作家のことが気になっていた。ダーク・ハーフは小説家が主人公だけど、その小説家がペンネームで書いてた人気シリーズの主人公がアレクシス・マシーン。この名前はキングがシェーン・スティーブンスの小説の登場人物から借りたものだという。
その前書きでキングはシェーン・スティーブンスの小説を褒めている。アレクシス・マシーンが出てくる「死んだ町」のほかに、「ドブネズミの群れ」「狂気のゆえに」「鉄敷のコーラス」という小説の名前を出して、
いわゆる「犯罪者の頭脳」と矯正しようのない精神異常が絡み合って完璧な凶悪さの閉じられたシステムを作り上げているこの三作品は、アメリカン・ドリームの暗い側面について書かれた、これまでで最もすぐれた小説だろう。
と絶賛してます。続けて、
ただし、強靭な胃とタフな神経をもつ読者以外は、読まないほうがいいかもしれない。
そういうこと言われると読みたくなるのが人間てもの。あいかわらずキングは何かを推薦するのがうまい。
アメリカでも絶版、かろうじて電子書籍がでているのが’By Reason of Insanity’。
で、探してみたんですが日本では翻訳もされておらず全く知られていない作家のようでした。本場アメリカなら出てるかな。キンドル買ったことだし調べてみようと思って調べてみたら、驚きました。
なんとアメリカでもシェーン・スティーブンスはすっかり忘れ去られ、過去の作家になっていたのでした。もっとも言及されているのがおそらくキングのダーク・ハーフの前書きで、事情は日本と変わりません。熱心なファンが作ったサイトはあって、かつてはそれなりに読まれていたらしいですが。
いまではすべて絶版で古本を買うしかない。かろうじて1冊だけキンドル版が出ているのがありました。それが’By Reason Of Insanity’で、ダーク・ハーフの前書きで「狂気のゆえに」とされているやつです。
キングがこれだけ褒めてるのになんで絶版なんだろう。ひょっとして時代遅れな内容なのか。それとも忘れられていただけで、昨今のキングブームに乗って再出版もあるのかな。
などと考えつつ、購入して読んでみました。
ある青年がその境遇からか、あるいは生まれつきなのか、その両方のせいなのか、歪んだ精神を肥大させて、凶行を繰り返す物語です。そして彼が起こす殺人事件を報道し、やがて自ら犯人を突き止めるために捜査を始める新聞記者がもうひとりの主人公。
最初の出版は1979年。トマス・ハリスの「レッド・ドラゴン」が1981年。猟奇殺人犯の内面に焦点を当てた作品はとしてはレクター博士シリーズが最も有名ですが、こちらもかなりのレベルに達していると思います。そして「レッド・ドラゴン」に先んじて出版されている点、当時、猟奇殺人を扱った小説がどれくらい出てたのかはわかりませんが、ひょっとするとエポックメイキングな作品たり得たのかもしれません。
’By Reason of Insanity’、けっこうすごい話です。
まったく紹介されているところがないので、ちょっと詳しめにあらすじを書いておきます。
主人公のトマス・ビショップは自分を有名な犯罪者キャリル・チェスマンの息子だと思い込み、あらゆる女性を根絶やしにするという崇高な目的のために次々と女性を殺害していく。
ビショップの歪んだ性格の原因が幼い頃の境遇にあるのは間違いない。母親のサラと亭主のハリーはビショップが生まれてから喧嘩ばかりで、お互いセックスと金だけでかろうじてつながっていた関係も、ある日ハリーがサラとビショップを殴り倒してから崩壊寸前になる。
実はサラはハリーとの結婚直前にキャリル・チェスマンにレイプされていて、トマスはキャリル・チェスマンの子供だと信じている。トマスが生まれ、生活が困難になり、その理由はチェスマンにあると信じている。
サラは徐々に正気を失っていき、男を憎むようになる。旦那のハリーは仲間と仕掛けた銀行強盗でヘマをして殺されてしまい、そのこともサラが男を憎む理由になる。サラはビショップを連れて引っ越し、ビショップを虐待し、ムチで叩き、恐ろしい話を聞かせる。あらゆる場所に悪魔がいて、悪魔は男の姿をとって女性を滅ぼすという話の中で、悪魔はチェスマンになり、いつしかトマス・ビショップになる。
そして狂った母の虐待が続いたある日、ついにトマスの頭はぷっつんしてしまい、トマスはサラを薪ストーブに突っ込んで焼死させる。数日後、届け物に来た人が見つけたのはストーブの前に座り込み、意味不明な言葉をわめきながら黒焦げの母の遺体をかじっているトマスの姿だった。
トマスは矯正施設に入れられるがかれの思考、行動はまったく改善せず、むしろなぜ自分がこんなところに閉じ込められるのかと内面の攻撃性を亢進させていく。しかし院内での拘束を逃れるために表面的に穏やかな人間を演じる狡猾さも持ち合わせている。
で、ある雷雨の夜、トマスは周到に計画していた脱走計画を実行に移し、晴れて自由の身となる…。
猟奇殺人者を描いたサイコスリラーとしてもなかなかすごい。
ここからはトマスが世間に解き放たれ、女性を次々に殺害していく手口がけっこう詳細に描かれていきます。いわゆる快楽殺人者による連続猟奇殺人をあつかったサイコスリラーという形になるのかな。
ちなみにBy reason of Insanity っていうのは「狂気のゆえに」ってことなんですが、刑法とかでは「心神耗弱により無罪」とかいう場合の「心神耗弱により」っていう意味でもある。
ビショップは表面的にはスラッとした優しい顔立ちの若者で、ハンサムなほうなんですが、これがかれにとって有利に働きます。実在の連続殺人鬼たちも、金で釣ったりあの手この手で被害者を誘惑し自分のテリトリーに誘い込むわけですが、ビショップは無垢な優男という見かけを利用して愛に飢えた女性たちを次々に餌食にします。
殺人嗜好がなければ結婚詐欺師とかヒモになってそうな女たらしなんですが、人誑しのテクニックも、経験を通じて後天的に身につけていったもので、そのスキルをただ女を殺すという目的のためだけに駆使しているのが淡々と怖いです。
殺人の様子もかなり凄惨。結構グロい描写があって、キングが「強靭な胃とタフな神経をもつ読者以外は、読まないほうがいいかもしれない」っていうのもまあ納得できるところです。
かれが女性を憎悪し殺人を繰り返す理由について、精神医学的な正当性があるのかどうかわかりません。しかしビショップの意識や精神的な葛藤についてはかなり突っ込んだ描写で、表面的にはまともに見えても内面は妄想と幻覚に支配され狂気を宿した人物であることが克明に描写されています。いまは猟奇殺人とかサイコパスとかが当たり前のネタの一つになっていますが、当時としては結構珍しかったかもしれません。
追求を次々にかわし凶行を続けるビショップ。
ビショップはシャバに出て、まずは当面の逃走資金と身分を手に入れることにします。かれはそれまでにテレビの犯罪実録番組とか学んでいた詐欺師やいろんな犯罪者の手口を駆使して、いともかんたんに銀行を騙し、役所を騙し、身分証を手に入れてしまいます。「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」とか「紙の月」みたいな、わりとおおらかな時代ならではの犯行といえます。犯行のお手本みたいなテレビ番組も刑務所で普通に見てたみたいだし。
それから、そもそもビショップがどうやって病院から抜け出たのか。
簡単に言うと、偽装殺人で他人になりすましての脱出です。病院内でヴィンセント・マンゴーという年格好の自分に似た都合のいい身代わりを手なづけていたビショップは、脱出当日にマンゴーを殺してその死体を自分に偽装し、自らはマンゴーとして病院を抜け出る。
病院を脱走して殺人を繰り返す凶悪犯として追跡されるのはマンゴーなので、ビショップは初期の捜査を比較的安全に切り抜け自由を手にすることができたのでした。
この、マンゴー=ビショップのトリックも結構ひっぱります。というか終盤までその謎を知っているのは読者とビショップだけ。実はごく初期段階で地元の優秀な警官がそのトリックの可能性に気づくのですが、ビショップのほうが一枚上手でさらに偽装を重ねていたために警官はその線を捨ててしまいます。
ビショップの殺しっぷりはかなりすごいです。この点をしても猟奇殺人ものの中でもかなり上位に入るのではないかという気がします。それも、ひたすらグロさをアピールするスプラッタ小説みたいな書きぶりじゃなくて、それまでの情景描写と同じ流れで惨状が描かれてる感じ。かえって印象的かもしれない。
推理小説+αとしての不思議な魅力。
最初に偽装を疑った警官、彼がビショップを追いかける主人公的な存在なのかと思いましたが実際には脇役で、最初だけ活躍してあとはほとんど出てきません。
読者としてはマンゴー=ビショップの偽装がいつバレるのか、だれが突き止めるのかというサスペンスも期待して読み続けるわけですが、いつまでたってもそれが見破られる気配はなく、さらに雑多な要素を巻き込んで小説は進行します。
そのへんの感覚がけっこう不思議で面白い。単純なエンターテイメントではなくて、妙に現実的な部分があるというか。ビショップの父ハリーのかつての銀行強盗仲間、ヤクザやマフィアといった闇社会の住人ものちのち登場するのですが、かれらの描き方も妙に落ち着いていてリアル。表向きは地方で会社を経営する実業家で、裏ではチンピラやマフィアを仕切っている連中。典型的ではあるんですが、エンターテイメント的な派手さがない。
裏社会つながりで地方の野心にあふれる政治家と彼にまつわるスキャンダルも結構な分量を占めるネタになっています。この辺、「大統領の陰謀」をかなり意識して社会派小説を狙ったのかなという感じもします。ただ、ドキュメンタリー小説っぽい感じはしないのが面白い。
政治家とそのスキャンダルのネタはビショップとは無関係に記者が捜査していて、ほとんど返す刀でついでに断罪している感じなんだけど、小説のもっと大きな枠として死刑制度の是非を問う話が先にあって、そこにからんでくる。それはビショップの父親とされるキャリル・チェスマンが死刑に処せられていることとも関連しているので、バラバラに思える要素がどれもなんとなく関連していて、その感じがなんとも言えない。
実際の人物も織り交ぜていて、リアリティがある。
さらに、ビショップの父とされるキャリル・チェスマンって実在の人物なんですね。レイプ・誘拐の罪で死刑判決を受けた人物なんですが、本当に死刑に相当する罪なのかということで当時かなり物議をかもしたらしい。チェスマンの自伝もあり、チェスマンを主人公にした映画なんかも作られてたりして、当時は結構話題になった話らしいです。全然知らなかった。
そこを起点にしていて、さらにホワイトハウスの人物やら政府の高官やらいろんな人物がでてくるので果たしてどこまでが事実でどこから創作なのかよくわからなくなったりして。
まあほぼ全て架空のお話なんですが、妙なリアリティがあります。
第2の主人公、記者のアダム・ケントン。
この本はBook One、Book Two、Book Threeの3つの章に分かれていて、Book Oneのタイトルは「トマス・ビショップ」で、Book Twoは「アダム・ケントン」。
アダム・ケントンはすでに登場していた雑誌記者なんですが、後半は彼が主人公。優秀な記者である彼は本社から極秘裏にビショップの居場所を突き止めるよう密命を受けます。下手すれば警察の捜査妨害で逮捕されかねない危険な任務ですが、ケントンは社のネットワークを駆使してビショップを捉えるべく活動を開始。
記者が主人公になるところ、ついでに政治家のスキャンダルを暴いちゃうところも「大統領の陰謀」っぽいんですが、かれの性格もなかなかおもしろい。あらゆる人物を疑い、他人の秘密を引き出す手腕に長け、さらに女性をビショップとはまた違った意味で軽視している。
ケントンは彼の記者としての能力を最大限発揮して、ビショップの心を読み、ビショップの思考を模倣し、ビショップを追跡する。
ビショップはビショップで、雑誌に掲載された自分の事件を読んで記者のケントンに興味を持ち、ケントンが優秀なハンターであると直感。
なかなか捕まらないビショップと、彼の凶行。
それまでも警察とか犯罪心理学の若い教授とかがビショップを追っているわけですが、なかなか彼の正体がわからない。マンゴーへの偽装がうまく行ったというのもあるし、ビショップがうまく新しい身分を手に入れて社会に溶け込んでるってのもあるんだけど、読者だけはその正体に気づいてるわけです。
ビショップの正体がいつばれるのか、誰が暴くのかというサスペンスで引っ張るのかなと思って読みすすめるわけですが、先にも書いたようにそれがなかなかばれない。最後までばれない。
そのうち、ビショップの正体に関するサスペンスは引き伸ばされすぎて機能しなくなってきます。むしろ、事件がマンゴーの犯行であると報道されてることに対する、本当の犯人はチェスマンの血を引くビショップ様なのに、というビショップのエゴが表に出てきたり。で相変わらず追う側は犯行の跡をたどるだけでまったく捕まえられる気配がない。
ケントンが捜査に乗り出してようやく事態が進展する感じです。
ただ、ケントンもギリギリのところでビショップを逃してしまう。すでに正体が突き止められつつあると感じたビショップは、最後の凶行を準備する。
結構あっけないラスト。
ケントンとビショップの遭遇にはほとんど運命的なものを感じます。お互いに、やがて出会うことはわかっていたみたいな。
しかしケントンもビショップが最後に何を企んでいたかまではわかりませんでした。ようやくそれに気づいたときにはすでに手遅れ、ビショップは目的地に潜入し、計画を実行に移していた…。
この最後の犯行はぞっとしましたね。それまでの連続殺人から、大量殺人に切り替わるんですがそれがあっけなく成功してしまうのが怖かった。
でラストはいろいろあってケントンとビショップの対決、みたいな感じになって、ちょっとした伏線も効いてたりしてなかなかいいんですが、あっさり終わってしまいました。最後にちょっとしたひねりがあってモヤモヤを残してくれたりもするんですが。
むしろもっとビショップの情念とかいったい何者だったのかとか、あの野心的な政治家その後どうなったの?とか、いろいろ知りたいことが残ったまま終わってしまいました。
とはいえ、一人の連続殺人鬼に延々つきあわされる、なかなかに疲れる読書体験ができるおすすめの小説でした。
まとめ
当時としては、そして今としてもかなりのレベルだとおもう猟奇殺人を取り扱った小説だと思います。そして、猟奇殺人以外のいろんなネタがごちゃごちゃ入って不思議にまとまっている小説でもあります。
凄惨なシーンもあり、被害者がみんな軽すぎるような気もしないでもなく、社会派なのかエンターテイメントなのかよくわからなくなったりもして、ときどきポルノ小説っぽい箇所もあったりしながら、全体としてはビショップの犯行とその追跡を通じて、なんとなく1970~80年代のアメリカ社会の雰囲気がよく感じられる本になっていたと思います。
ビショップの犯行とか現代では不可能だと思うし、そういう点で今読むとちょっと時代を感じるかもしれないけど、近年そういうレトロブームだったりもしたからいけるんじゃないかな、という気もします。
個人的にはかなり楽しめました。続いて「ダーク・ハーフ」のアレクシス・マシーンの元ネタ、「死んだ町(’Dead City’)」を読みたいんですが、プレミアがついてるのかめっちゃ高い。しかたないので「「鉄敷のコーラス(’Anvil Chorus’)」てのを注文しておきました。届いたら読みます。