夢の中、不思議の国のアリスの世界で起きた殺人事件が現実世界とリンクする。ミステリ小説の傑作「アリス殺し」の感想。ネタバレなしです。

「アリス殺し」の表紙。

「アリス殺し」の表紙。

大学生の栗栖川亜里(くりすがわあり)は奇妙な夢を見た。

夢の中で、アリスは白兎と出会い、とかげのビルと出会い、頭のおかしい帽子屋、三月兎と出会う。とかげのビルはなぜかアリスに、合言葉を決めようと言い出す。合言葉は、ビルの「スナークは」という呼び掛けに、アリスが「ブージャムだった」と答える、というもの。その合言葉を、どういうわけかアリスはすでに知っていた。

帽子屋と三月兎は、ハンプティ・ダンプティが塀から落ちた現場にいた。ハンプティ・ダンプティの残骸が地面に飛び散っている。アリスが、ハンプティ・ダンプティが堀から落ちたのか、と尋ねると、帽子屋はいう。「ハンプティ・ダンプティは殺されたんだ。これは殺人事件だ」

亜里は目を覚まし、大学に向かう。

学内が妙に慌ただしいのは、研究生の王子玉男(おうじたまお)が亡くなったからだった。死んだ理由は、屋上からの転落死。なにか引っかかるものを感じながらも、亜里は王子の死によって乱された自分の実験スケジュールを確保するため、実験装置の予約を譲ってくれそうな相手を探す。ちょうど、同学年の井森健(いもりけん)なら余裕があるかも、と聞いた亜里は、井森を見つけて相談する。井森は他学科からの編入生で、名前を知っている程度で親しくはない。

実験のこと、王子のことを二人で話しながら、井森は、忘れていた大事なことを思い出した、という。それも、亜里にも関係のある何かを。自分に関係あるというのなら証明してみせて、という亜里に井森は応じ、驚くべき言葉を発する。夢の中で、ビルとアリスが交わした合言葉を。

というイントロで始まるこのお話、ここらでもう完全に引き込まれてしまいます。個人的に、ものすごいツボにはまりました。

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アリスのいる不思議の国と、亜里のいる現実世界がリンクし、両者で展開される殺人事件。

夢の中の登場人物はみな変わっていて、相手の言葉尻を捉えてねちねちと反駁する喋りかたがいかにもピッタリ似合っている。

で、ハンプティ・ダンプティ殺しなど夢の中での殺人事件についてアリスに嫌疑がかけられ、アリスが疑いを晴らそうと奮闘する話なんですが、もうおわかりのように、現実世界と夢の世界はリンクしているのですね。

不思議の世界ではみんなどこか調子が狂っているし、そもそも動物たちが喋ったりするおかしな世界なので殺人?事件といってもどこか現実感がないのですが(当たり前だけど)、夢と現実はリンクしているため、王子のように夢で死んだ人は現実でも死んでしまう。そして、夢の世界で容疑者がどうなるかというと、おそらく女王陛下の命令で斬首されてしまう。

いかにめちゃくちゃな世界の出来事とは言え、そこで斬首されてしまえば現実でも死んでしまう。死にたくないアリスは手当たり次第に捜査を開始する。

一方、栗栖川亜里も井森と組んで事件の調査を開始するが、どうやら2つの世界のリンクに気づいているのは亜里と井森だけではないようで、谷丸という警部と西中島という男が、「夢の中の殺人容疑」で亜里を調べ始める…。

設定は奇想天外だけど、まっとうなミステリ小説。

この奇想天外な物語、大雑把にくくればミステリ小説になると思います。本の帯には、

「どれだけ注意深く読んでも、この真相は見抜けない。」

と書かれている。…つまり、これは真犯人がわかりますか?という出版社からの挑戦ということなんでしょうか。

ミステリとしてもフェアで、伏線、手がかりを元にきっちり真犯人を見つけることが出来るようになっています。こんなめちゃくちゃな、なにしろチェシャ猫が虚空に現れて、スペースワープなる現象が存在する世界のくせに、本当にまっとうな推理からあざやかに犯人が導かれて驚いてしまいます。伏線やら手がかりの不自然さもほぼない。

ただ、最初から犯人探しという観点で読むと、勘の良い人はすぐわかるかも。やっぱり小説は無心で読むのが一番ですね。

物語のトーンとしては、夢の中の殺人という突拍子もないもので、ドタバタコメディ風になるのかと思いきや、夢の殺人=現実世界のでの死者ということで、わりとシリアスな雰囲気になったりもします。

さらに、ほのかな恋愛小説風味もあって、井森=ビルの亜里に対する思いがちらっと描写されていて、抑えた筆致ながらもなかなか心を動かされる場面もあるわけです。

わたしはあまり本を読まないのであれなんですが、なんとなく殊能将之の小説に似ている気がしました。たぶん、殊能将之の小説で一番有名なのは「ハサミ男」。でも、わたしの場合、後の作品のほうが好きなのが多い。「キマイラの新しい城」>「樒/榁」>「黒い仏」といったふうに。殊能将之の本を読むときはミステリという意識はなく普通の小説として楽しんでいるんですが、この「アリス殺し」も、ミステリとして最高に楽しめるだけでなく、それ以外の部分でもとっても楽しめると思いました。

まったく、面白い。ごく序盤でネクロノミコンとかエイボンの書とか、不穏な文字列が出てくるのもいい。ただのミステリだけでは終わらないんですね。

犯人を見つけた後も、いったいどういう世界になっているのか、という謎解きが楽しめる。

単行本で真犯人が明かされるのは173ページの下段ですが、本が終わるのは254ページ。種明かしの部分ももちろんありますが、それ以外にもおもしろい展開が待っています。真犯人をつきとめたからといって、アリスの疑いが晴れるわけではないのです。

犯人探しと、その後の展開がどうなるのか、ぜひ読んで頂きたい。口コミ発のベストセラーだそうですが、7万部?よりもっと読まれてもいいんじゃないかと思いました。

小林泰三ならではのグロ描写もあります。躊躇ない肉体損壊というか、即物的な描写がもたらす気色悪さというか。ハンプティ・ダンプティの遺体の描写とか。不思議の国のアリスにでてくる、食べると大きくなるきのこ。あれの使い方なんかもキモい。

ぎゃくに、首をちょん切る処刑シーンなんかは思わず吹き出してしまうし。グロ描写の入れ方もうまいなーと思いました。

あ、全体としてはまったくグロとかホラーとかではないので、安心して下さい。まったく免疫がない人はちょっと引くかもしれませんが、それも味だと思います。

とりあえず大満足な本ですが、一応、ルイス・キャロルの「ふしぎの国のアリス」を知っていることが前提になっているかと思います。多くの方はお読みになっていることと思いますが。いちおう、未読のかた、あるいはうろ覚えのかたには、個人的には新潮文庫の矢川澄子訳がおススメ。

読者に語りかけるような独特な訳文が心地よく、リズムもいい。翻訳の大家、柳瀬尚紀の訳もあるけど、あれは読んでてどうにも調子があわない。内在するリズム感の問題なんだろうか。翻訳論なんかは非常に面白く、ためになるのですが。

あとは「スナーク狩り」も読んでいるとさらに理解が進むかと。バンダースナッチとは何者か、とかスナークがブージャムであった場合どうなるか、とか。

ま、とりあえず不思議の国のアリスを知っていれば楽しめることは間違いありません。ネタばれして考えてみたいところも何箇所かありますが、とりあえず読んで見ることをおすすめします。

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