ピーター・ストラウブ “a dark matter” の感想。terrifying でも inpossible to put down でもない。でも、面白い。

2018年現在、ピーター・ストラウブの長編としては2010年のこれが一番新しい。盟友であるスティーブン・キングの名前は巻末の謝辞に名前はでてこないが、表紙に彼の1行コメントがのっているので、この本もスティーブン・キング絶賛とみなして間違いない。

で、読む前にネットでざっと評判を探ってみたら、それほど評判がいいわけではない。これはここ最近のストラウブに共通していて、そのへんが邦訳がさっぱり出てこない理由のひとつなのかもしれない。

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宣伝と大きく違う内容。

小説の内容は、小説家が過去に自分の身近で起きた恐ろしい出来事を探る、というもの。1960年代、リーダー格のカリスマ的存在スペンサー・マロンを中心とした数人の大学生と高校生たちが大学近くの野原で秘密の儀式を行った。その結果恐ろしいことが起き、参加した学生の一人は行方不明、一人はバラバラ死体でみつかり、一人は正気を失う。それから数十年後、ひょんなきっかけでこの事件を思い出した主人公は、この事件を題材に小説を描くことで事件の真相に迫ろうとする。

ということで、その儀式で何があったのか、というのが物語のひとつの大きな謎になっているのだけど、まずその出来事の結果が一人死亡、一人行方不明というのがちょっとインパクトに欠ける。実際には、その他の参加者もこの事件で大きく人生が変わっていて、例えば参加者のひとり、リー・”イール”・トゥルーアクスは三十代に入ってから失明している。だけど、みなさん一応生きて生活している。

主人公は儀式には参加していないものの、参加者の多くとは親しい関係で、リーとは恋人関係だった。その後結婚して、いまも一緒に暮らしている。

事件を理解しようと思った主人公は奥さんに参加者の一人ドナルド・オルソンの近況を聞き、彼と接触する。そして、主人公はドナルドと組んで、他の儀式参加者に会いに行き、話を聞き、なにが起きたのか理解しようとする。

前提として、これはホラーではない。

あまりぱっとしない評価の理由はなんとなくわかる。最大の理由は、これがホラー小説ではないということだと思う。表紙でスティーブン・キングは”Terrifying…inpossible to put down.”といっている。裏表紙でも同じterrifyingという言葉が使われている。だけど、この小説が怖いか、ホラーかというと相当疑問だ。はっきりいって、全然怖くない。

その点がファンには不評なんだと思う。つまり多くの読者にとってストラウブはホラー小説家であって、一番の傑作はゴースト・ストーリーで、怖いことがストラウブの真骨頂だとみなされているということだろう。

それは、大きな誤りだと思う。この小説は確かに、ちょっとゾッとする要素もあるけれどホラーではないし、怖い、というものではない。それに事件の真相にしても、最初から奥さんに聞けばいいのでは?とか思ってしまうし、読み始めではなかなか惹きつけられない。それに、肝心の儀式だって、「チベット死者の書」とかアグリッパの「オカルト哲学」とかを読み込んだマロンが地面にサークルを書いてラテン語の呪文を唱えて…みたいないかにもなやつだし。

さらに、inpossible to put downかというと、そうでもない。実際、わたしは最初の数十ページを読んで一旦挫折した。出だしがなかなかとっつきにくい。

じゃ、つまらないのかというとそんなことはない。前作、全然作でもそうだったけど、ストラウブの小説はジャンルに収まらない部分があって、そもそも本人もホラー小説、とはそれほど意識してないんじゃないかと思う。

個人的には、ホラー小説としてのストラウブの最高峰は「ココ」だと思う。前日譚とも言える恐ろしい短編「ブルー・ローズ」も含め。

もともとホラー作家ではなく、お勉強でホラー作家になったと解説で揶揄されたこともあるストラウブにとっては、その後「ミステリー」以降の多彩な作品のほうがよりストラウブらしいと言えるかもしれない。そして、かれの小説に共通している点、それはまさに小説を読んでいる、という実感が感じられること。メタ的構造の多用、小説内小説といった形式で、作者も小説自体も、それが小説であることに自覚的であるという印象が強い。

それは”a dark matter”でも同じで、これはホラーじゃなくて何なのかと言われると、小説であるとしかいいようがない。その点では前作の”lost boy, lost girl” “In the Night Room”の連作ほどではないけれど、小説家が主人公で、作中で主人公が書こうとしている小説こそが、まさに今われわれが読んでいるこの本なのかな、と思えるところなど、すごくストラウブらしい。

その他にも、過去と現在、過去の出来事が現在に及ぼす影響、というのもよくストラウブの小説に出てくるモチーフだけど、それがここまでストレートに表明されているのは他にないのではないか。むしろほとんどそれだけで成り立っているような気もする。ごく大まかなあらすじとしては、主人公が過去の事件を調べ、当事者に取材する、それだけの小説なのだし。

他にも、女性の容姿に対する雑な絶賛、主人公のプチセレブっぷりがやや鼻につくなど、ストラウブっぽいところはいろいろある。

ホラーじゃないけど、面白いです。

で、肝心の面白さ。怖くないとなると、果たして面白いのかということだけど、面白い。はっきり面白い。

この小説のホラーではなく、むしろ老いとか、結婚生活にまつわる物語でもあると思う。数十年前の出来事を、老人の域に差し掛かった男が振り返るという点もそうだし、事件の当事者でもっとも確信に近い部分にいるのが自分の妻でありながら、なにが起きたのか語るのをこれまで拒否してきた、という点もそう。行き詰まっている作家が主人公だったり、時を経た同窓会のような雰囲気もあったり、少なくともホラーを期待して読むとなにか違ったものだなあと強く感じると思う。

前半はドナルド・オルソンと主人公がいろいろ訪ねていって、話を聞くだけなんだけど、出所してきたばかりで最初はかなり下卑た感じのするドナルドがすぐに若かった頃の性格を取り戻して、主人公にちょっとした軽口を叩くいい相棒みたいになる。かれが登場してから物語に軽さが生まれたような気がする。

そしてハワード・ブライ。儀式の後正気を失い、その後ずっと精神病院に入院している彼も、この小説の主役の一人。ホーソーンの「緋文字」など読んだ本をすべて暗記している彼は、本を引用する形でしか発話できなくなってしまっている。というより一度読んだものが忘れられないという特異な能力があるんだと思う。この暗記に対する執着みたいなのは、ヘルファイア・クラブにも出てきますね。しかし、主人公たちとの面会を心待ちにしていた彼は、主人公たちが訪れたその日、入院以来はじめて、引用ではない自らの一言を発する。かれがその後どうなるのかも読んでいて楽しい部分だった。

その後も、出張中の妻に対する主人公の疑心暗鬼などいろいろあって、調査している過程はまあホラーというよりは普通小説的雰囲気のほうが濃い。

事件の真相、というか儀式で何が起きたのかという点については、参加した数人から話を聞き、それぞれがそれぞれの主観で語ってくれる。羅生門みたいに、その食い違いが大きなネタになるほどではないけれど、当事者間の認識のずれはなかなか興味深い。

そして最終的には、奥さんであるリーが事の真相を語ることになる。真相と言ってもミステリーのように犯人がわかるとか暴かれていなかった謎がとけるとか、そういったことではない。そこで語られるファンタジーにただただ感心し、やっぱりこれは小説なんだなあと実感しました。

儀式の参加者でもうひとり、キース・ヘイワードという若者がいる。これもけっこうな重要人物で、出番は少ないものの物語の根幹に関わるし、それからこの人がこの小説のホラーっぽい部分の半分を占めているといっても過言ではない。かれのおじがどうやら連続殺人犯だったらしく、キースもその薫陶を受け歪んだ精神をいっそうねじくれさせていったであろうことが示唆されている。作中には、おじを追って独自に調査を進めていた刑事の手記も挿入されていて、このキースがらみの箇所の暗い雰囲気にもストラウブの力量がよく発揮されていると思う。

まとめ

正直、最初数十ページ読んで放置していました。その後やっと読む気になって、また中断をしてようやく読み終わりました。なので前半はちょっと記憶が曖昧です。

でも、面白いと思います。lost boy, lost girl から、また別のシリーズが始まった、という印象です。ただしホラー小説ファン、恐怖が目当ての人にはおすすめしません。一番大きなくくりでいうと、夫婦の物語なのかな、という気がします。

物語の構成はわりと緊密で、全体が関連しています。そのせいでちょっと読みにくいのかもしれない。

なお、作中では主人公の友人の作家としてティム・アンダーヒルの名前が挙げられますし、主人公が会いに行くジェイソンという人物が住んでいるのはウィリー・ストリートという名前だったと思います。ひょっとして、そういうオチ?と思いましたが、そうではないようで安心しました。いつまでもゴースト・ストーリーを引きずらないで、新しいストラウブをみてもいいのではないでしょうか。

創元推理文庫から翻訳が出ないかな。でもヘルファイア・クラブ以降出ていないということは、売れなかったんだろうな。残念なことだ。

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