「極道大戦争」の感想。三池崇史、市原隼人とかのファン以外には見る価値ない。

三池崇史の映画は半分くらいでたらめなものだと思うけど、この「極道大戦争」もでたらめの極みのような映画。原点回帰を標榜していて、原点とは「デッド・オア・アライブ」みたいな映画のことらしい。

「デッド・オア・アライブ」はラストシーンがとても有名だけど、全体を通してみるとちょっと単調な映画だったと思う。でも、三池崇史の映画の中ではマシなほう。

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でたらめにデタラメを重ねた、つまらない映画でした。

「極道大戦争」はでたらめにでたらめを重ねた結果、退屈でつまらない映画になってしまった。冒頭はまだ興味が持続するけど、ストーリーの構築を諦めているので途中からどうでもよくなってきて見る気が失せてしまう。

思うに、三池崇史は自分の作品のデタラメさ、突拍子なさが評価されていることを気にするあまり、自意識的になりすぎているような気がする。珍品として楽しまれる映画って、思いもしないところに妙なものごとがでてくる意外性みたいなのが受けてるんだとおもうけど、三池崇史の映画の多くは狙いすぎて逆に外している。「極道大戦争」もいろんな要素を詰め込んで、出落ちだったり笑いを意識している感じもするんだけど、全部空回りしていて見ていて寒い。

一応ストーリーを説明すると、バンパイアに噛まれて不死身になった組長(リリー・フランキー)がいた。ヤクザ・ヴァンパイアである組長は、街の住民とも良い関係を保ち、昔ながらの義理人情を重視するいい親分だったが、ヴァンパイアキラーみたいなやつが現れ、そいつらに殺されてしまう。組長を慕っていた子分の影山(市原隼人)はヴァンパイアの血を飲むことで自身もヤクザヴァンパイアとなる。生き血への要求を抑えきれない影山は街の住人を襲い、噛まれたものもヤクザヴァンパイアと化すため街はヤクザヴァンパイアだらけになる。そこに世界最強にして最悪のテロリスト、カエルくんが現れる。

この映画での珍稀な要素は、

リリー・フランキーも生き血を必要としてるんだけど、カタギに迷惑をかけないよう地下でヤクザを飼い、そいつらの血を食料にしている。

ただし、ヤクザの血はまずく、栄養も少ない。更生したヤクザの血は栄養価も高まるため、地下のヤクザは編み物クラブで編み物をし、忍耐の態度を学ぶことで更生させられている。

地下にはカッパがいる。

シラットの使い手として「レイド」で有名になったヤヤン・ルヒアンが武術の達人役で出ているが、オタクに扮して、アニメの紙袋をもち、背中にポスターの入ったリュックを背負った姿で登場する。

若頭(高島礼子)の脳みそが溶けて、耳から脳みそを滴らせる。

若頭がビニールハウスで牛乳を土にかけ、何かを育てている。部下が何を育てているのか聞くと、カタギを栽培しているという。ヤクザはカタギにたかって生きているのだから、カタギがたくさん生えてくれば、住みやすくなる。

最強のカエルくんの姿が、単なるカエルのきぐるみ。

カエルくんがきぐるみを脱ぐと、カエルのマスクを付けたブルース・リーのような細身の姿(本体)が現れる。

カエルくん本体のへそにあるばってんシールを剥がすと、封印されていたと思しきカエルの王が登場する。

ヤヤン・ルヒアンとの決闘に勝利した影山は、今度はカエルの王を倒すためにコウモリの姿になってそらに飛び立つ。そこで終劇。

最初の30分位は面白いんだけど、あとはつまらないです。

ベタな笑いのシーンは面白いんだけど、意図的なデタラメさはかえって寒い。

高島礼子の扱いも雑で、なにをさせたいのかよくわからなかった。唐突に脳が溶けたとか、耳から脳を滴らせたりしても、だめなんだ。

町の人がみんなヤクザヴァンパイアになっちゃって、本物のヤクザがうろたえる場面が一番ふつうに面白かったかな。おまわりさんもやくざになって、「ロハで取り締まってもらえると思うなよ!」とか「国家権力を乱用して飲む打つ買うをやりまくる」だとかいう。あとヤクザヴァンパイアになった女子高生が、「あっしは○○高校2年3組という、しがない組のものでございます」とか挨拶して、「それただのクラスだろ」とか本職のヤクザにツッコミを入れられるベタなところ。その女子高生が賭場を開いていて、勝手に賭場なんて開くなとヤクザに言われると、何がいけないんだ、ヤクザになるには国家資格がいるのか、とか外野(全員ヤクザヴァンパイア)につっこまれるところ。

こういうベタなギャグは、かえって面白い。しかし三池崇史が面白いと思っているでたらめな場面は、まったくおもしろくない…。ベタはベタでもちゃんと仕込んであるネタは面白いし、ただでたらめなだけでは面白くないんだよ。

ストーリー、人物の行動をわざとめちゃくちゃにしているのもまずい。

市原隼人がヴァンパイアとなってしまい、カタギを襲いたくなる自分に苦悩する。しかし、その直後、そうした苦悩はどうでもいいものとなり、躊躇なくカタギを襲うようになる。

カタギがみんなヤクザになってしまい、それをどうするのかと思っていたら、カエルくんの登場でそれもどうでもいいものになり、市原とカエルくんの対決に軸がずれてしまう。

市原隼人と、同じ組内で対立する兄貴分の関係性が保たれているのでなんとか見られるけど、それがなかったら空中分解しかねない。

わざとやってるんだから、というのは言い訳にならない。わざとやっていようがなんだろうが、つまらないものはつまらない。

「フロム・ダスク・ティル・ドーン」も前半と後半で違う映画になり、当時めちゃくちゃといわれたけれど、あれは狙ってやった映画だったし、傑作だと思う。登場人物たちの行動も一貫している。でも、「極道大戦争」は狙ったというよりふざけてやっているような気がする。なんの狙いもなく、ただふざけているだけ。

わたしが生真面目すぎるのかもしれないけど、後半はみていて馬鹿にされているような気になってくる。ラストも、あれじゃああ「デッド・オア・アライブ」ね、と軽く流されてしまう。

まとめ

どうも今ひとつ突き抜けられないというか、空回りしている。それが三池監督の平常運転なんだろうけど、面白いのは「悪の教典」「十三人の刺客」とか、原作付きをわりと忠実に映画化したものなんだよね。

市原隼人が出ていたのは良かった。あの人、たまにテレビで見ると異常にひたむき、前向きな姿ばかりで素の部分が見えず、そこがものすごく恐ろしい感じがしたんだけど、こういう映画にも出られるジョークの分かる普通の人だということがわかってなぜか安心した。

  • 極道大戦争
  • 監督:三池崇史
  • 2015年
  • 上映時間:115分
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