デンデラ。楢山節考の続編といっても言いような話で、姥捨て山に捨てられた老婆たちが実は生き延びて集落を形成していた、という話。老婆たちは自分たちを捨てた村に復讐するべく鍛錬を積み、老婆たちが50人になったところで村への進軍を開始するが、予期せぬ困難が迫りくる…。
この映画は二層のみかたができて、ひとつは老婆軍団vs熊という、エンターテイメント映画としてのみかた。もう一つは、定年後の行き場のない老人、社会でのけ者にされた女性たちの居場所を考えるための、現代の社会を映した寓話というみかた。
老婆vs熊の怖面白さ。
エンターテイメントとしては、普通におもしろい。まず捨てられた老婆たちが実は生き延びて集団生活を送っている、という設定が面白い。ここで興味を持つ人はたくさんいるのではないでしょうか。
わたしも捨てられた婆さんたちが実は生きて集団生活をしていた、という点に興味を持って、それだけの知識でこの映画を見たんですが、そういう興味を満たす程度には集落(デンデラとよばれる)の様子も細部までわりとよくできてた。たぶんほとんどロケで、スタッフロールをみると庄内映画村で撮影したらしい。大変だったろうな。
ただ、生活物資、主に食料の調達の仕方とか、具体的な生活の様子はほとんど描かれていない。そのへんはデンデラの創始者であるメイ(草笛光子)が捨てられたあとの行動がフラッシュバックで描かれていて、それで大体推察できるようになっている。それから、舞台は冬山のみで回想シーン以外で春の様子はない。
それも当然で、この映画は婆さんたちがすでにサバイバルを終えて集落を作り終えているわけで、映画は彼女らがいよいよ作戦行動に取り掛かるところから始まるわけです。サバイバルというより、婆さんたちが竹槍をもって藁人形に突進したり訓練している場面のほうが多い。で、主人公カユ(浅丘ルリ子)がデンデラに来て住人がちょうど50人になったのを契機に、メイは村の襲撃を実行に移します。
ところが、襲撃の前夜、精をつけるために食料をたらふく食べて皆がぐっすり休んでいるところに悲劇が。なんと、熊がデンデラを襲ったのです。
半分パニックホラーです。
ここから映画は老婆vs熊の死闘に。「デンデラ」は楢山節考を連想させる一般映画のフリをしていますが、突然ホラー+軽いスプラッター映画になります。最初にカユが熊に食い荒らされた小屋を発見するところから、演出も普通にホラー映画っぽい。
ここ、人の味を知った熊は必ずまた襲ってくるとか、襲撃後の精算な様子とか、実際に起きた三毛別羆事件を元にしているようなところもあって、この熊との死闘は映画の流れを大きく変える出来事であると同時に、一つのハイライトにもなっていますね。
メイは集団でかかれば熊なんて楽勝とみなを鼓舞するが、実際には熊は強敵。圧倒的な熊の力の前に老婆たちは次々と犠牲になる。
老婆たちもなんとかして熊に対抗、その作戦も結構恐ろしい。最初の襲撃時、両足をもがれて小屋の梁にぶら下がった状態で見つかった婆さん(この時点でも異常な熊の力がよくわかる)が、自分はもう先は長くないからと自ら熊の囮になることを志願。
その後も、圧倒的な熊を前に逃げ惑う老婆がいたり、村への襲撃に反対して集団内で孤立しているグループが自らを犠牲にして相打ちを狙うものがいたり、ここだけ抜き出して動物パニックものとして見ても結構満足できる気がします。
唯一残念なのは、ちょっと熊がしょぼいことかな。カメラワークでなるべく熊の全体像を出さないようにしてがんばっていてるんだけど、いざ全身が出てくると思ったより小さいことと着ぐるみ感があることで、ちょっと微笑ましさが出てしまう。といって、フルCGで描写するには相当な予算が必要だろうし、悩ましいところです。でも、十分良くできていると思うし、演出で熊の怖さは十分伝わります。
その後も、なんとか村に復讐しようとする老婆たちが雪崩に巻き込まれたり、楢山節考みたいなお話を予想していたらどんどん予想外の方向に進んでいってしまって、意外なものを見てしまったお得感のある映画でした。
元気すぎる老婆たちが面白い。
老婆たちは、捨てられた時点で70歳になっている。それを考えると全体的に老婆たちが年の割に元気すぎる。まして、食事も医療も現代よりも不足していただろう時代が舞台なので、70歳というと今の90くらいの感じなんじゃないかと思う。デンデラの創始者メイに至ってはそこから30年が経過して100歳という設定だが、これは村の長老というフィクションとして理解できるにしても、ちょっとみんな元気すぎる気がする。
もっとも、なかなか死なないからこそ口減らしの対象になるわけで、捨てられるまで糖尿病とかで寝たきりになっていた人がいないと考えると、その後も基本的に粗食で適度な運動を強いられる集団生活をしていると意外と健康で長生きできるのかもしれない。熊と戦うほどの、元気すぎる婆さんという要素自体が、すぐに婆さんを捨てる村に対する皮肉になっているのかも。
テーマ性は薄れているかもしれない。
熊のインパクトが大きくて女性差別、老人問題の提起という面はちょっと宙に浮いてしまった感じ。
ゴールディングの「蝿の王」は、共同生活する少年の間で対立がおきて人間が生得的に持っている闘争本能があらわになり、性善説だけでは機能しない人間社会を描いた小説だった。
デンデラではそういう内部対立はない。村への襲撃を拒否する「いくじなし」はいるものの、とくに罰則もなく一緒に生活していて、デンデラは一種の理想郷として描かれている。自分たちを捨てた村を仮想的にすることで住民の団結を図っているフシもあったと思うが、最終的には村への襲撃を決行する。
村を襲撃する理由も、詰まるところはマサリ(倍賞美津子)に指摘されてメイ自ら認めるように自己満足でしかない。襲撃によって姥捨てがなくなったり、社会が変わるわけでもない。
村では女性だけでなく男性も捨てられているが、デンデラに拾われるのは女性だけ。それはデンデラに、女性の男性に対する反抗、という意味もあるからなんだろう。そういう立場を代表するのがマサリたち爪弾きにされた女性たちで、しかし彼女たちにしても女だけで立派に生活していけるということは明示されるものの、その先の話にはつながっていない。
結局、全部熊が持って行っちゃったところがこの映画の妙な面白さの源で、それが限界でもあったと思う。
キャストもいい。
キャストは全員すばらしいと思いました。よくみんなこんな汚れ役?を引き受けたなあと思います。
草笛光子は貫禄がある。浅丘ルリ子は、最初すごいお婆さん役に見えるけれど、デンデラ内では相対的に美人に見えてくる不思議。マサリを演じる倍賞美津子は眼帯をあてたすごい風貌。村の襲撃に賛成しない穏健派かと思いきや対熊では弓矢を使いこなし熊に一矢報い、デンデラ内で最も強そうに見えます。最期もかっこいい。山本陽子は、最初だれだかわからなかった。角替和枝、白石和子もちょっと個性的な婆さん役ではまってます。
これだけのキャストが揃っているのはけっこうすごい。
まとめ
というわけで、思わぬ拾い物でした。どうして公開当時情報がひっかからなかったんだろう。知ってたらたぶん見ていたと思うんだけど。社会派なのかエンターテイメントなのか、どちらの要素も入れようとしたけれど結果的におおきくエンタメに傾いたように思います。その点にとくに不満はありません。