麻耶雄嵩「メルカトルかく語りき」の感想その2。「答えのない絵本」の真相について考えてみました。

前回に続き「メルカトルかく語りき」の感想を書きます。

ここでは「答えのない絵本」「密室荘」の2編の感想。ネタバレしているので知りたくない人は読まないでください。

「答えのない絵本」はネタバレがあってもなかなか考えさせられる短編だと思いますが、なにもしらないで考えてみるのも面白いと思います。

このページの目次にもネタバレが入っているかもしれないので、目次もみないでください。

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まず、問題の「答えのない絵本」について。

いくつかの条件を組み合わせていくうちにいつの間にか犯人がいなくなってしまうという、お釣りの100円がなくなる算数のトリックみたいな、なんか騙されたような気になる短編が「答えのない絵本」です。

素直に読むとこの短編だけ大きな矛盾が残るように感じます。

まず、被害者は学校の理科の先生で、容疑者はそのとき学校の4階に残っていた生徒20人。そしてメルカトルの推理により、なんと生徒全員に犯行が不可能となり、犯人がいなくなってしまう…。

これが算数のトリックみたいに、犯人がいないと思えるのが実はトリックで、実は犯人がいました、というのなら問題ない。というかそれが普通だと思う。

しかしここで問題になるのが著者の「メルカトルは不可謬」という一言で、つまりメルカトルが犯人はいないと断言している以上、犯人はいないことになる。

しかし、理科の先生の死体は厳然として残る。また彼の自殺の可能性や、他者との共謀の可能性もやはり排除される…。しかし、メルカトルが正しいとしたら死体というおおきな矛盾が残ってしまう。最後も、その不可解な余韻を感じるというより、矛盾が解決されない気持ちの悪さのほうが気になりました。

しかし、そうではないのです。

現実に残された死体とメルカトルの推理の結果は矛盾している。そこに目をつむったずさんな話なのか?

他の短編では、メルカトルの推理がどんなに変な推理をしても、それと現実の死体は矛盾しないようになっています。

「死人を起こす」では、他のあらゆる人間が犯人である可能性にメルカトル自身が言及している。「九州旅行」は限られた手がかりで犯人とその行動を推測しているだけで、それはほぼ正しい。「収束」ではまだ犯人は判明していないけれど、次の犯行が行われればメルカトルの推測どおりに犯人が判明することは間違いない。しかし「答えのない絵本」のみ、メルカトルは犯人はいないといい、それ意外の可能性に言及していない。

しかし、いやしくも推理小説の名手がそんな矛盾を残す短編を書くわけがない。そういう気持ちで見直してみると、この短編もまた、メルカトルの自己の利益を追求する態度がよくあらわれていて、そのために一見矛盾しているように見える結論が導かれているだけだということがわかります。

つまり、犯人を隠蔽しているのです。

「死人を起こす」のようにメルカトルが種明かし?をしていないので、まるで犯人がいないというのが結論であるかのような雰囲気のまま短編は終わってしまう。そういう意味ではちょっと意地悪な、誤解を招きやすいお話ではあると思います。

さらっと読むとわかりませんが、この可能性に気づいてからは俄然いい短編に思えるようになりました。

本当の犯人。

まず、メルカトルはこの事件を捜査するにあたって、二人の人物から依頼を受けています。ふたりとも学校の生徒の親で、その二人の生徒、信濃瑞穂と鳳明日香は事件当日4階にいた20人に含まれます。つまり容疑者なわけ。そこで二人の親は自分の子供に容疑がかからないよう、メルカトルに事件の解決を依頼したわけです。事件の解決というか、自分の子が犯人ではないことを証明してくれ、ということなんでしょう。

そしてメルカトルの推理の結果まさにその二人の生徒が最後の容疑者として残るのですが、さらにメルカトルが考察をすすめるとふたりの犯行の可能性がなくなる。つまり犯人がいなくなってしまう。

結論から言えばこの二人のどちらかが犯人です。おそらくは鳳明日香でしょう。二人の共謀という可能性もあります。二人はまえまえからあまり仲が良くないということですが、犯行を隠すために協力した可能性はあります。

依頼者が1人だけなら、メルカトルはふつうに犯人を指摘して終わったかもしれない。依頼者の子供が犯人だったとしたら、おそらく別のほうを犯人に仕立て上げたでしょう。それくらいは彼にとっては簡単なことのようです。

しかし今回はたまたま二人から依頼を受け、その二人の子だけが犯人の可能性があった。そこで苦肉の策として、ふたりとも犯人ではないことにしてしまった。

こう書くと簡単なようですが、犯人を無実にするのはそうかんたんなことじゃありません。それを力技でやってしまうところがメルカトル鮎のすごいところなんだろうと思います。

メルカトルが犯人を隠蔽したという根拠。

じゃあどうやって二人が犯行をした可能性を消し去ったのかは、わかりません。よく読めばわかるのかもしれません。小説的にフェアなのは、20人の生徒から事情聴取をしたのがメルカトルで、その様子は詳細には書かれていないことです。

この短編の語り手は美袋ですが、事情聴取の際、かれは20人の生徒から手際よく情報を引き出していくメルカトルの手腕に関心しているのみで、具体的な証言の内容や生徒たちの行動にはいっさい言及していません。つまり、生徒たちの行動はメルカトルだけが知っていて、美袋にも一緒に学園にきた刑事にも、メルカトルの言葉がすべて真となります。

生徒たちの行動については刑事が事前に全生徒の行動を調べたリストがあるのですが、これは10分おきに、それぞれの生徒がどの教室にいたのかを記したものになります。ただし教室を移動中のアリバイはあったりなかったりです。

メルカトルがこのリストを念頭において生徒に事情聴取をし、即座にリストの穴をつくようななんらかの条件を思いついたとしたら、真実を隠蔽することは可能でしょう。おそらくそういうことだと思います。

そしてメルカトルは不可謬であるというのが、この短編でもおおきな意味を持ちます。この短編の「ほんとうの謎解き」はわたしの手には負えませんが、短編中でメルカトル自身が、自分が犯人のいない状況を仕組んだと自白しているような箇所があります。

犯人がいない、ということを説明したあとのメルカトルの台詞です。そんなこと受け入れられないという刑事に対して、

「一つだけ方法がある。背後にとんでもなく優秀な人間がいて、事件後に生徒全員の口裏合わせを計画し、全く偽の証言を彼らに教え込んだ場合だ。それも全員にアリバイがあるというのではなく、一見アリバイがないように見せかけて、いま私が話した論理によって犯人がいなくなるように仕向けたとしたら」

そんなことができるのか、と疑う刑事に対してメルカトルはこう言います。

「どうだろう。私以外にそんな真似が出来る人間が存在するとは思えないが、…」

つまり、自分なら出来るといっているわけです。メルカトルは不可謬なので、間違いありません。

このあとは続けて、それをするためには事前に少なくとも4つの事実を知っておく必要があって、それは不可能だろう、ということになるのですが。

しかしその4つを知っている人物がいます。そう、メルカトルその人です。事前に知るのはは不可能ですが、捜査後は当然その事実をすべて把握しているわけです。

そして偽の証言を生徒に教え込むのではなく、事情聴取の際に自分の都合のいいように生徒の証言を変更した。いや、ひょっとすると自分で言ったように、偽の証言を生徒に教え込んだのかもしれません。美袋はぼんやりとしか事情聴取の様子をみていないので、それに気づきません…。

わかりづらいけどよく出来てる。しかし、自分の読みが正しいという自信はない。

上記のように、これもまたメルカトルの利己主義によって真相が捻じ曲げられたお話でした、というのがこの短編のほんとうの意味だと思うのですが、いかがでしょうか。

最初はこの短編、矛盾があっておかしい!と思っていたのですが、この真相?に気づいてからは感心しました。本当なら、最後にネタバレがあるとか、メルカトルの台詞がまさに自分のことを示しているのがそれとなくわかるように書かれていたりすれば、ちょっと引っかかって真相にたどり着く人もいると思うんですが。そういうのがないので、果たして自分の読み方であっているのか自信が持てません。

これが深読みなのかどうかは、生徒の行動リストと複雑な条件を解読して鳳明日香、または信濃瑞穂が犯人であることを証明すればいいのでしょうが、私の手には余ります…。わたしの読みで正しいと思ってますが、著者はそこまで考えず、本当に犯人がいないという結論にしている可能性も…。

「密室荘」

この短編はみじかい。

メルカトルの別荘に突然死体が現れる。それも地下室に。別荘は施錠されていたので密室。あらわれたのは首に紐を巻きつけた、顔を蒼く変色させた若い男性の死体。

別荘にいたのはメルカトルと語り手の美袋。

密室である以上、ふたりのどちらかが犯人ということになる…。

で、メルカトルは死体があることによって発生する様々な問題を解決するために、セメントを流し込んで地下室ごと死体を埋めてしまうことにします。

「罪体がなければ犯罪は存在しえない。倫理的に問題があると君は云うかもしれないが、不条理な死体には不条理な解決がふさわしい」

といってメルカトルはセメントを流し込み、事件を「解決」します。

まあ、それはそれでいいのですが。死体がある以上、犯人がいるわけです。

普通に考えればメルカトルが犯人です。語り手が自分の殺人を隠すっていうのはずるいですからね。ただ、こんな下らない殺人はしないというメルカトルの台詞もあるし、ひょっとしたら死体は自殺だったり、別の可能性もあります。

考えられるのは、

  • メルカトルが犯人
  • 美袋が犯人(夢遊病だったり)
  • 犯人は自殺または事故死
  • ほんとうに死体が忽然と現れた

という可能性ですが、死体の描写、首に縄が巻き付いていた、などから推理してもどれかに絞るのは難しい。また、施錠されていた別荘にどうやってその死体が入ってきたのか、という問題もあります。まあ、一番可能性がたかいのはメルカトルが犯人というものでしょう。

普通に考えれば男はメルカトルが招いたか、あるいはこっそり忍び込んだ泥棒か。泥棒ならメルカトルが殺したか、地下室に閉じ込めようとしたのかもしれません。

ただ、こんな下らない殺人はしないという台詞があるので、自ら手を下したのではなく事故死かもしれません。地下室の真ん中でどうやったら首に縄をかけて事故死できるのかはわかりませんが。

メルカトルが犯人だとすれば、セメントで死体を隠して死体をなかったコトにするという行動も納得できます。罪体がどうのとか御託を並べていますが、それがもっとも都合のいい解決だからなのではないでしょうか。

もっともこの短編は情報が少なすぎて、どんな推理も考えすぎになってしまいそうです。与えられた情報だけをもとにしてすなおに考えると、やはりメルカトルが犯人で、ただし動機や手法やなにもかもは不明、という事にならざるを得ません。

死体をなくして、そもそも事件をなかったことにするという荒業、それでもメルカトルにとっては「解決」であり、この探偵の特異なところがよくわかる話ではあります。

まとめ

まあ、結構おもしろいと思いました。でも個人的には長編のほうが好きかもしれない。

それから、アンチミステリであることによって、逆に著者の本格ミステリへのこだわりが強く感じられる短編集でした。

小林泰三だったら、超限探偵Σに代表されるようなSF的なもっととんでもない解決が出てくると思います。あとはメタだったり。しかしこの短編集ではミステリとしての設定を逸脱しない限りにおいて、さまざまな裏技を駆使しているという感じ。

個人的には変な推理小説としては小林泰三の超限探偵Σとかのほうが好みなんですが、これはこれでとても興味深いものでした。

つぎは著者のデビュー作にしてメルカトル最後の事件である、「翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件」を読んでみたいと思います。これはすごいという評判なので、楽しみです。

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