ポール・オースターの新作”4321″が面白そう

アメリカの小説家ポール・オースターが新作を発表しました。”4321″という面白いタイトルの小説。

オースターと言えば「シティ・オブ・グラス」(=ガラスの町)、「幽霊たち」「鍵のかかった部屋」なんかが流行って日本でもだいぶ読まれたと思う。もっとも露出度が高かったのは、「スモーク」「ブルー・インザ・フェイス」といった映画に関わった頃だったろうか。その後は翻訳が出ればそれなりに紹介はされたけれど、流行はもう過ぎた、って感じであまり話題になることはなかったように感じる。でも、この人の小説は好きだ。(読みやすいこともあるけど)

この人の小説は、読んでいるうちに人間の存在の偶然性というか、一回性、そのようにして存在している不思議さみたいな物に思いを馳せてしまう物が多く、それとは気付かないけれど偶然と必然の引合う適度な緊張感みたいなものが横溢していて、いったい人生って何なんだろう、とかつい読みながら考えてしまう。しかし高踏的なものではまったくなく、読み物としてはむしろ、とても面白く読めるのがおおい。雑にくくると文章がうまいということなんだろうか。

その後はあまり紹介されなくなるけれど、小説は書き続けていて、翻訳も出ている。わたしはあまり読んでいないけれど、そうとう面白かったのは「トゥルー・ストーリーズ」と「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」。これは小説ではない。「トゥルー・ストーリーズ」はオースターの実体験をつづったエッセイで、「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」はたしかラジオ番組で聴取者から募集した体験談をまとめたもの。この二冊が(ナショナル・ストーリー・プロジェクトは2巻まであるので3冊か)、どれも面白い話ばかりで、そして偶然性との対峙というか、いったい人生って何なんだろうと考えさせる問に満ちていてオースターの小説に通じるものがあり、特にナショナル・ストーリー・プロジェクトは不思議なくらいオースター的な話ばかりだった。オースターが選んだ話だから当然なのかな。

(ところで、「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」を受けて「日本版ナショナル・ストーリー・プロジェクト」というのが発売されていたのでぱらぱら立ち読みしたけれど、新聞の読者投稿欄に出てくるような話といった感じで、質的にまったく違う物に感じた)

そんなオースターがこの間7年ぶりに発表したのが、「4321」という小説。

これは内容を聞いて、久々に読みたいなと思った本。
以下、たまたまみたガーディアのインタビュー記事をパクリながら紹介します。

Paul Auster: ‘I'm going to speak out as often as I can, otherwise I can't live with myself'
The novelist on Trump’s America and publishing the book of his life at 70

小説の主人公はアーチー・ファーガソン。少年時代にサマーキャンプをしていた彼は、嵐に遭い木の下に逃げ込む。そこに雷が落ち、アーチーは落雷で落ちてきた木の枝に当たって死んでしまう。たぶん本のそうとう序盤で。しかし、彼は生き返るのでもなく、死後の世界を旅するのでもなく、本はその後、「別の」アーチーの人生を追いかけはじめる。このアーチーも、落雷で死んだアーチーと同じ境遇の元にうまれた、同じ肉体をもつアーチー。つまり同一人物なのだ。同じアーチーだけれど、たどっていく道は違う。そしてこの本では、まったく同じ4人のアーチーが、別々の人生を歩む姿が描写されていく。スタート地点こそ同じ4人のアーチーだが、それぞれの進む道はまったく違う。ある物は金持ちになり、ある物は金欠に苦しむ。離婚するものもいる。そしてすでに一人が若くして落雷で亡くなっていることで明らかだけれど、寿命も違う。すでに4人だったアーチーは3人になっている。ここで4321というタイトルの意味がはっきり分かってくる。

こういう話のようですが、これって、まさにオースター的な、オースターならではの設定だと思いませんか。詳細は分からないですが、この設定だけでもそそられるものがあります。オースターはこれを書くのに7年もかかりましたが、この小説を書くために今まで生きてきたと感じているそうです。総決算みたいなものなんでしょうか。これを知ってさらに読みたくなりました。

しかし、この本は随分長い。オースターの小説は比較的短い物が多いですが、これはなんと900ページ近くもあるそうです。ま、オースターの一大巨編ということで翻訳されるのは間違いないと思いますので、その時が来たら是非読んでみたいと思います。

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