山本夏彦「二流の愉しみ」。昔の本だけど、古びない。いつでも通用するエッセイ。

お気に入りの作家の本はときどき読み返すことがある。あとは時々、昔読んだ古い本を見つけて懐かしさに読み返してみたりすることもある。

ただ、どの本も内容が陳腐化しないでいつも通用するわけではない。だいたい、古びてきたり、時代遅れになったり。なんというか、今の時代にそぐわない感じがしてくるものがよくある。それは文章の調子だったりいろいろな理由があると思うんだけど、いつの時代にも通用する、いつの時代にも思い出して読んでみたくなるものはそんなにない気がする。

で、山本夏彦のエッセイはいつでも通用する数少ない本の一つだと思う。

とくに、時事問題をネタにしたエッセイにもかかわらずいつ読んでも通るというのはなかなかすごいことなのではないでしょうか。この「二流の愉しみ」は単行本が1978年、文庫の出版が1984年なので、はっきりいって描かれている世相は昭和もいいところ、まさに隔世の感がある時代背景になっています。

にもかかわらず、内容は古びていない。つまり、ここの世相の背景にある人間心理というものを的確に捉えているということです。

この人のエッセイは世相を斬るとかいう宣伝文句がついていることがよくあって、内容も確かに世間一般の通念にいちゃもんをつけているように思えるものがあり、そのせいで生意気な感じを受けるという人もいるかもしれません。

しかし、読むとわかると思いますがこの人は、批判している対象が、実は自分自身に他ならないというのが身にしみてわかっています。

自分のことを棚に上げず、よそ事、例えば遠い外国の出来事や他人のことを上から目線で語るのではなく、一見こちらとは関係ないようなよそ事、それも多くは醜く滑稽なことの中に、自分との共通点を見出しています。

つまり人は時と場合で態度をころころ変えるもので、それがときに醜悪に思えることがあるものの、それは自分も同じである、と。また世間の常識を批判しているようなエッセイでも、自らもその常識のうちに囚われているという自覚、または批判したところで自分にはどうしようもないという意識がひしひしと感じられて、やっぱり偉そうな感じはしません。

その感覚がどこから来るのかというと、卓越した境地とか悟りとかではなくて、どっちかというと諦めに似たものからきているように思います。

たとえば「編集者三十歳定年説」。

これは才能にはピークがあるという残酷な真実を語ったもので、編集者に限らず文筆業はみんなそうであると言っています。その例として内田百閒を出し、戦後の作品は面白くないとして、「ノラや」「贋作吾輩は猫である」を挙げています。そのとおりだと思います。

また樋口一葉について、二十五で死んだのもあながち嘆くには及ばない、あと十年生きていればたくさんの佳作を書いただろうと思うのは未練である、とし、石川啄木についてもあの調子で量産されたらいくら崇拝者でも付き合いきれないのではないか、といいます。

そのとおりだと思う。でも夏目漱石が明暗を書き終えずになくなったのは残念だけど。

で、こういうことを書いている山本夏彦自身が、おなじことが自分にも当てはまるということをよくよく思い知っているはずで、だからこの人の文章が居丈高に感じないんだと思う。この人のべつのエッセイで、自分の書いたものをあとから採点してみたら軒並み低得点ばかりでノイローゼになりそうだった、というようなのを読んだ覚えがあります。

ほかにもいいエッセイがいろいろ収録されていますが、要するに人は自分が一番可愛く、他人はその次であり、隣の羽振りのいいのは気に食わない。そして、自分がそう思うのと同じように、他の人もそう思っている、という健全な認識が漲っているのではないでしょうか。それと、その健全な認識が必ずしも社会の理不尽を解消するわけではないし、その認識が失われつつあるとしても、一個人にはどうすることもできないという諦念も。

このエッセイ集じゃなくても、どれを読んでもだいたい似たようなことが書いてあって、だからどれもおなじくらい面白いわけですが、このエッセイにも特に面白いと思えるものがいくつもあります。

スポンサーリンク

模倣の欲望と自尊心の病

漠然と共通項を感じるのは、「こころなきみにも」というブログにかかれていることで、このブログで書かれている「模倣の欲望」「自尊心の病」というテーマが一部山本夏彦のエッセイにも通じるところがあるような気がします。「こころなきみにも」はもともとドストエフスキーを研究していた方のブログで、こちらもとても興味深いブログなので気になる方は読んでみてください。

最近はネットでの炎上なんかがよくあります。だれかが失言をして、それが批判されるわけですが、批判が徐々にエスカレートし、やがて当事者ではない人たちまでも尻馬に乗って批判し始めて加速度的に炎上していきます。その、批判する側の醜悪、失言が取り繕い用のないものだからこそ、よってたかって批判する姿がおぞましく見えるんですが、そういうことがこの本を読んだらわかるようになるかもしれません。

一番好きなのは夢想庵物語。

それから、個人的には山本夏彦の最高傑作は「夢想庵物語」「私の岩波物語」だと思います。どちらも、すでに失われたもの、失われつつあるものに思いを馳せる点が共通していて、それは他のエッセイにもちらちら顔を覗かせる要素なのですが、それもまたこの人のエッセイの特徴の一つだと思います。

タイトルとURLをコピーしました