漫画とかアニメは日本が誇る文化だ!面白いのがたくさんあるに違いない!
と思って、しばらく漫画を読んでみました。漫画はなにを読んでもだいたい面白いだろう・・・と思っていましたが、そうではないのですね。連載打ち切りになったり・・・つまらない漫画もたくさんあるんだろう。あ、漫画を選ぶとき、あまり長くないやつを選びがちなので、人気がなく続かなかったものに当たりやすいのかも。長く続いているのは面白くても手を出しづらいですね。きちんと物語の構想ができた上で長く続いているやつはいいけど、人気があって引き延ばされるのは最後がぐだぐだにならないか心配。理想的なのはある程度の長さで、打ち切りとかではなくてきちんと完結しているやつ。
さて、思春期とは何でしょうか。
思春期の定義はいろいろあるとおもいますが、個人的には大人になりかけて大人になりきるまでの間の時期、だと思います。そして、思春期に終わりはあるのかというと、大人になりきった時点で思春期は終わりますが、そこで獲得した人を思いやる気持ち、他者に共感する気持ち、とかそういったものはそのあとも続いていくので、思春期のいろいろな苦しみや楽しみから解放されると言うことはありません。
これは例えば同じ映画を何回観ても感動して泣くのとかと同じことで、1回経験したからお終い、というようなことじゃないと思います。なので幼年期に終わりはあっても、思春期に終わりはない。
久世光彦の「聖なる春」を読んだときに確かそんな感想を抱いた覚えがあって、この小説は少女マンガめいたお話から甘い青春の腐臭が漂うような、人は死ぬまで思春期なのだということがよくわかるお話だった気がする。忘れたけど。(なお、ここで少女マンガといっているのは甘ったるい絵空事、といったような悪い意味で、ろくに少女マンガを読んだこともないくせに本当にすみません)
そして、その思春期の永続性、思春期がいかに人間を変えるかをどストレートに鮮やかに表現したのが押見修造の「惡の華」でした。11巻で終わっているのも切れがよくて好き。絵も好き。
前半は結構馬鹿馬鹿しいところから始まりますが、じょじょにシリアスになっていって、後戻りのできない展開が待ち受けています。ちょっとしたお笑い場面も減ってきて、この辺から、単行本で各話ごとに書かれていた作者のコメントがなくなる。このコメントはまあ作品に自ら茶々を入れることにもなっているので、確かにシリアスな展開にはそぐわないでしょうね。
主人公が中学生で、取り返しのつかないことをしでかすまでが第1部、高校生になってからが第2部と大雑把に分けられると思います。過去をやり過ごして生きる主人公ですが、前を向いて進むためにはやっぱり過去と正面から対峙しなければならないんですね。この第2部の展開はあまりにストレートな青春物語で逆に意外でした。
学校でも人気者の美人が実は隠れ読書マニアで、同じく文学青年だった主人公とつきあうというのは、文系の不良、いや文系のオタクの妄想にすぎないのでしょうか。そうではなく、思春期を経て大人になり、本当の自分と対峙した主人公だからこそ、あんなふうになれたんでしょうね。
あとこの漫画でもっとも魅力的なのは、やはり物語の発端であり、終端であり、「クソムシが」とかインパクトのある台詞の多いヒロインの仲村さん。
しかし、終盤で描かれる仲村さんの内面描写を見ると、どうもこれって変態というより完璧にビョーキの人に見えるんですが・・・。あのすさまじい心象風景を抱えて過ごしながら自我を保ち、あまつさえ常に余裕の笑みを浮かべた表情で「変態やろう」「ふつうにんげん」など魅力的な台詞を吐くという、架空のヒロイン像を作り上げた点はポイント高いですね。そして架空などと言っておいてなんですが、この仲村さんに実在のモデルがいるというのもすごいです。それが作者の奥さんというのも。
そういうわけで、この「惡の華」はおすすめできる漫画です。「クソムシが」という台詞付のインパクトのある表紙と「惡の華」っていうタイトルで文系を惹きつけるには十分なこの漫画ですが、内容も満足のいくものでした。
しかし、この本はある意味で主人公の成功物語です。誰もが経験する道をそれ、困難な道に踏み込んでしまい、しかし踏破した。その先にもまだ道は続いてますが、まだ道半ばでさまよい歩いている人が読むと絶望を感じることになるかも知れません。が、それでも読んで損はないとおもいます。
アニメ版もありますが、相当な出来映えのようで、恐くて見ていません。今度Netflixとかに出てきたら見てみよう。
あ、「惡の華」よりもっと短くて、同じように出来のいい漫画。「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」。これも押見修造の漫画で、おすすめ。1冊だけだし。