その昔、角川の第2回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞した短編。(ちなみにこのときの長編はパラサイト・イヴ)
これと中編「酔歩する男」の二編で「玩具修理者」として出版されていて、どちらも小林泰三の名を知らしめた名作です。いまさらながら感想を書きたいと思います。
玩具修理者の感想。
まず「玩具修理者」。これは田中麗奈主演で映画化もされてるみたいですね。
やっぱり、処女作が作者のエッセンスをよく表すものなんでしょうか。その後の小林泰三作品にみられるいろんな要素がすでにこの短編に散りばめられているような気がします。
喫茶店で会話する二人の男女のやり取りから構成される短編ですが、その大半は女性のひとり語りです。彼女が子供時代に体験した数奇な出来事を男性に語って聞かせる合間に、男性の反応が描写される。
ストーリーは女性の子供時代、近所にいた「玩具修理者」と呼ばれるものにまつわる話。
玩具修理者はその名の通り壊れたおもちゃを何でも直してくれる人で、近所の子供はおもちゃが壊れるたびにそこにもっていき修理してもらっているようだった。あるとき語り手は、死んだペットの猫を直してもらおうと玩具修理者に引きずっていく少女と出会う。その日は猛暑で、親の言いつけで弟の道雄をおぶってお使いに出かけていた語り手は熱中症で歩道橋から転げ落ちてしまう。そしておぶっていた道雄が死んだことを知った語り手は、道雄を直してもらうために玩具修理者のもとに向かう…。
まず、この玩具修理者がクトゥルー神話の邪神とか、その下っ端とか、そういうたぐいのものである、という設定なのです。名前は出てこないものの、この人(男化女か判然としない)が修理しながら叫ぶ言葉がぬわいえいるれいとほうてぃーぷとか、くとひゅーるひゅーとか、ようぐそうとほうとふ、といったものなんですね。
クトゥルー神話との関係。
これは一般的にはニヤルラトホテップと、あクトゥルー、クースールーとか、ヨグ=ソトースとか表記される恐ろしい邪神の一派ですね。日本語のひらがなでの表記がどこまで正確なのかわかりませんが、あまり性格な発音を追求すると理性を失い発狂する恐れがあるのでみなさんも飛ばし読みしたほうがいいでしょう。
それらに呼びかけているということは、自身がそうではないのでしょうがどう考えても邪神側のあぶないやつです。こどもたちもおもちゃをなおしてくれるというそれだけで玩具修理者のもとに行くのですが、正体不明の浮浪者といった描写のされ方なので親に知られたら絶対禁止されそうな雰囲気があります。そんなのが近所でこどもたちのおもちゃを直してくれるって、どうなんでしょうね。
そのへんで子どもたちが遊び回っているよくある町の風景に突然クトゥルー神話の世界が混ざり合っているこのあたり、この短編の魅力の一つだと思います。
グロ描写。
そしてグロ描写。玩具修理者は修理の過程で、なおすべきおもちゃを部品一つ一つに至るまで徹底的に分解し、その後に組み立てます。道雄もやはり同じ過程をたどります。その意味するところは、道雄くんが髪の毛一本、筋肉一筋に至るまでバラバラに分解されてしまうという…。
ただし、このグロ描写もきちんと小説的に消化されていて単なる解剖学描写、あるいは単なる悪趣味にはなっていないようです。結構きちんとバラしながらも、臓器内からなにかが溢れ出る描写は気持ち悪いし、さらに解剖学的正確性だけをおうのではなくいろんな汁がたらたらでてくるあたり、日野日出志の漫画のようなグロさがあるのではないかと思います。解説でも日野日出志に言及されていましたが単に血がブシャーとでたり手足がばらばらになったりということではない湿っぽさみたいなのがそれを連想させるのかな。
とはいえ、それもただグロいだけではないのです。語り手が死んでしまった道雄をおぶって玩具修理者のところに向かう途中。近所のおばさんに声をかけられてしまいます。語り手は道雄の死をさとられないようなんとか言い繕うのですが、その合間にもいろんな汁がたれてきたり、本人も歩道橋から落ちて顔面から血がしたたっていたり、大変です。
笑いと紙一重の描写。
で、この状況ってまあかなり気持ち悪いし、語り手に感情移入して読んでいると切羽詰まった状況でハラハラするはずなんですが、一歩引いてみると非常に滑稽でもあります。
同じことはその後、道雄の「修理」が終わったあとにも言え、「修理」の際に些細な点を言い漏らしたがために道雄は「欠陥品」になってしまい、それを直すために語り手は再び玩具修理者のもとに向かう。これは最初の修理とは別の意味で怖いことなんですが、それと同時にやはり滑稽でもある。天丼というか、繰り返しギャグになりかねないです。登場人物の視点で見れば笑い事じゃないのですが、少し引いた視点でその場面を取り出すと、まるでコントのように見えるところがあります。
ただし笑わせようとして書いてはいないのでこれは怪奇小説の範疇に収まっていると思います。が、ちょっとした筆使いで簡単に笑える短編に化けかねない、そんなところがまた小林泰三らしく面白いなと思います。語りがですます調なのもその傾向を助長しているのかもしれない。個人的に、真顔でまことしやかに語られるバカ話がとくに面白いと思うので。
その他、ミステリー要素や独特の会話のやり取り、SF的視点。
それから、人の話を混ぜっ返すような会話。論点を微妙にずらして相手の言葉尻を捉えていく会話、それこそ小林泰三の小説の醍醐味の一つだと思うのですが、この短編にもその萌芽が見られます。
またSF的、とまでは言えないかもしれないけど、生物と無生物の違いについての議論など理屈っぽい箇所があって、この辺、理系的整合性?みたいな観点が他の作品でも有効活用されている気がします。
それと、ミステリー要素。ミステリーと言うか推理小説的トリックというか。この短編の最後のオチは推理小説的トリックの種明かしみたいな趣向があって、鮮やかかつ印象的です。2つくらいの秘密が最後の最後であかされるんですよね。そして、読んでいる間は別にそれが秘密だとも思わない。
まとめ
というわけでほんの30ページくらいの短編でグロありミステリーありの印象的な作品でした。そういえばもう一つ小林泰三の特徴がよく出ていました。小林泰三はほかにも短編集をいくつも出していますが、短編も上手なんですね。